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TBSラジオたまむすび内の
伊集院光のTSUTAYAへ行ってこれ借りよ
みうらじゅんによる映画「ルパン三世」(小栗旬の実写版)の
これ観たよ編
ひさびさに爆笑した。
今後は
「そ~りゃあないぜぇ~」を座右の銘として、
心の中で唱えて、思い出し笑いをして過ごしていこう。
人生でなにかつらいことに出会っても
「そ~りゃあないぜぇ~」の一言で乗り越えていけそうな気がする。
いや、それこそ「そ~りゃぁないぜぇ~」、か。
(「り」の次の「ぁ」を小さくしてみた)
伊集院光のTSUTAYAへ行ってこれ借りよ
みうらじゅんによる映画「ルパン三世」(小栗旬の実写版)の
これ観たよ編
ひさびさに爆笑した。
今後は
「そ~りゃあないぜぇ~」を座右の銘として、
心の中で唱えて、思い出し笑いをして過ごしていこう。
人生でなにかつらいことに出会っても
「そ~りゃあないぜぇ~」の一言で乗り越えていけそうな気がする。
いや、それこそ「そ~りゃぁないぜぇ~」、か。
(「り」の次の「ぁ」を小さくしてみた)
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もう何年前のことだったか、感覚的には3,4年まえ
それでなくてもここ10年以内のことだと思うが
街行く若い女性が、何か昭和に関する写真か何かを見て
「懐かしい♡」と感嘆の声をあげているのを聞いた。
内心、「お前は体験してねえだろ」と思ったものだ。
言葉の正確さだけについて言えば、
「懐かしい、と年長者は感じるんだろうねコレ」
とか、それを縮めて
「懐かしい、っぽい」などとしてほしいところだが
言葉尻をとらえたいわけではない。
そうした言葉を使わせることになる、感覚についてが気になっている点だ。
今にして思えば、
本人が実体験はしていないことについて
実体験したかのように「懐かしい」という表現を使う、この感覚が
いわゆる『ポストモダン』的なものなのだろう。
それでなくてもここ10年以内のことだと思うが
街行く若い女性が、何か昭和に関する写真か何かを見て
「懐かしい♡」と感嘆の声をあげているのを聞いた。
内心、「お前は体験してねえだろ」と思ったものだ。
言葉の正確さだけについて言えば、
「懐かしい、と年長者は感じるんだろうねコレ」
とか、それを縮めて
「懐かしい、っぽい」などとしてほしいところだが
言葉尻をとらえたいわけではない。
そうした言葉を使わせることになる、感覚についてが気になっている点だ。
今にして思えば、
本人が実体験はしていないことについて
実体験したかのように「懐かしい」という表現を使う、この感覚が
いわゆる『ポストモダン』的なものなのだろう。
「2001年宇宙の旅」の冒頭に、
類人猿が仲間を殺害する場面が登場し、
彼らが投げた骨が、時を越えるように21世紀の宇宙船にオーバーラップするシーンがあるが、
昨今、ネットの利用に長けて、例えば検索してものごとを調べるのには長けているが
人間性が欠けているような(例えば仲間を殺す類人猿のような)
人間のありようを「検索猿人」と呼んでみるのはどうか。
また、スマホが普及し、もはや人間そのものがネットの端末と化してしまったような状態を
「端末魔」と呼んでみたり。
もちろん「断末魔」をもじっているのだが、
「端末魔」が「断末魔」の叫びを上げて滅びていくようなことは
そうそう起きなさそうにも思えるが、
しかしかつてトマス=モアが「ユートピア」という書物の中で
資本主義の拡大によって、かえって人間が疎外されるようなことを
「羊が人間を喰らう」と表現したような事態が起きているのではないか、という意味でなら
「端末魔」と「断末魔」は、似ているものとして見えてはこないだろうか。
類人猿が仲間を殺害する場面が登場し、
彼らが投げた骨が、時を越えるように21世紀の宇宙船にオーバーラップするシーンがあるが、
昨今、ネットの利用に長けて、例えば検索してものごとを調べるのには長けているが
人間性が欠けているような(例えば仲間を殺す類人猿のような)
人間のありようを「検索猿人」と呼んでみるのはどうか。
また、スマホが普及し、もはや人間そのものがネットの端末と化してしまったような状態を
「端末魔」と呼んでみたり。
もちろん「断末魔」をもじっているのだが、
「端末魔」が「断末魔」の叫びを上げて滅びていくようなことは
そうそう起きなさそうにも思えるが、
しかしかつてトマス=モアが「ユートピア」という書物の中で
資本主義の拡大によって、かえって人間が疎外されるようなことを
「羊が人間を喰らう」と表現したような事態が起きているのではないか、という意味でなら
「端末魔」と「断末魔」は、似ているものとして見えてはこないだろうか。
初代マン、セブン、帰マン、A,タロウの5期間に分けて配布されるピンバッジの
第三弾、帰ってきたウルトラマン。
帰マンびいきなので、いさんで初日の朝から出かけ
上野でもゲットしようと思ったらなんと早速の品切れ
東京、品川と回ったがいずれも既に品切れ。
サイトの在庫状況ではまだ「△」だった高円寺へ行ったが、行ったらなくなっていた。
まだ「△」だった赤羽へ行ったら
BECKERSの前に行列が。
店長さんらしき人が、在庫数と行列人数を数えた結果、
なんとか残数の中に入り込めて、無事ここゲット。
途中、残数の最終確認の前に並んでいた人の中から
「並ばされたのにもたえなかったら文句言ってやる」などの会話が聞こえたりしたが、
とくにトラブルもなく、一旦列についた人の何人かはお帰りになった。
ピンバッジの台紙には、それぞれウルトラマン、電車の他に
防衛チームのユニフォームの柄があしらわれているのだが
MATの胸のマークが二重線になっているので、伊吹隊長のものだ。なぜ伊吹隊長仕様。いいけど。
もう、この辺でピンバッチのゲット自体はOKではあるのだが、
赤羽などと同じく、サイトの在庫状況が「△」だった柏の様子が見たくなって
ダメ元で足を伸ばしてみた。
到着したところ、ここもかなりの行列ができていて、
反射的に列についてが、数はまだ充分とのこと。
JRフードサービスか何かの腕章をした係員が4,5人ほどで列をさばいていた。
そのうちの一人と軽く話したが、朝から行列が続いているのだそうな。
ニューデイズすなわちコンビニだとピンバッチはあっという間になくなるが
パンなどを注文してから販売し、お持ち帰りもできるが店内で食べる人もいるため
客の回転率がコンビニよりも低いため、長く在庫がもつのだそうで、
言われてみれば簡単な話ではある。
ちなみに、柏くんだりまで赴いたとは言え、店舗が改札の中なのはありがたい点である。
スタンプ集めは既に終わっているが、いくつかの駅を回ってみた。
浜松町は、去年はホームの小便小僧に帰マンの服を着せていたが
今年は、ウルトラマンの父(スタンプキャラクターはゼットン)。
また、この駅の特設会場にあるジオラマは、いく度に配置が変わっている。
前は、帰マンがベムスターにやられて倒れていたが、それはなくなって
代わりに初代マンがグドンと一緒に倒れていた。意味不明である。
目白駅はプロテ星人。
学習院にあるピラミッド校舎がロケに使われたことにちなんだチョイスだが
このピラミッド校舎についての説明のパネルが追加されていた。
私もここは良い思い出があるのだが、またそれは別の話で。
ちなみに「ピラ校」というのが愛称なのだが、このことは書かれていなかった。
JRの駅には、通常それぞれの駅のスタンプ台があり
場所によっては、ウルトラマンスタンプラリーの物と勘違いしないように
JRスタンプ台に注意書き(これはウルトラマンスタンプラリーではありません)が
ある場合があるのだが、目白駅には
「プロテ星人は、右うしろ券売機横にいます」という説明の横で
プロテ星人(の写真)が「こっちだよ~」と言っている。
代々木駅はガボラ。
ここの同様に、JRのスタンプ台に
「参加の全隊員に次ぐ。ここはM78星雲ではない。ここは駅スタンプ台である。
M78星雲は後ろにあり」と書かれている。
中野駅(バキシム)の、みどりの窓口に、ジオラマが置かれているのに気付いた。
バルタン星人、初代マン、バキシム、セブンが東京駅の前に並び、
その前に中央線のオレンジ色の車両が置かれて(中には倒れた車両も)いる。
またスタンプ台の横に、この日のピンバッジの在庫状況のサイトのページを
プリントアウトしたものが貼られていた。
出力されたものは10:00(30だったか)時点のものだが、
その後の経過も手書きで反映させたあり、
確か、16時台に全駅で在庫がなくなったようである。
中野駅の配慮を感じる対応だと思う。
第三弾、帰ってきたウルトラマン。
帰マンびいきなので、いさんで初日の朝から出かけ
上野でもゲットしようと思ったらなんと早速の品切れ
東京、品川と回ったがいずれも既に品切れ。
サイトの在庫状況ではまだ「△」だった高円寺へ行ったが、行ったらなくなっていた。
まだ「△」だった赤羽へ行ったら
BECKERSの前に行列が。
店長さんらしき人が、在庫数と行列人数を数えた結果、
なんとか残数の中に入り込めて、無事ここゲット。
途中、残数の最終確認の前に並んでいた人の中から
「並ばされたのにもたえなかったら文句言ってやる」などの会話が聞こえたりしたが、
とくにトラブルもなく、一旦列についた人の何人かはお帰りになった。
ピンバッジの台紙には、それぞれウルトラマン、電車の他に
防衛チームのユニフォームの柄があしらわれているのだが
MATの胸のマークが二重線になっているので、伊吹隊長のものだ。なぜ伊吹隊長仕様。いいけど。
もう、この辺でピンバッチのゲット自体はOKではあるのだが、
赤羽などと同じく、サイトの在庫状況が「△」だった柏の様子が見たくなって
ダメ元で足を伸ばしてみた。
到着したところ、ここもかなりの行列ができていて、
反射的に列についてが、数はまだ充分とのこと。
JRフードサービスか何かの腕章をした係員が4,5人ほどで列をさばいていた。
そのうちの一人と軽く話したが、朝から行列が続いているのだそうな。
ニューデイズすなわちコンビニだとピンバッチはあっという間になくなるが
パンなどを注文してから販売し、お持ち帰りもできるが店内で食べる人もいるため
客の回転率がコンビニよりも低いため、長く在庫がもつのだそうで、
言われてみれば簡単な話ではある。
ちなみに、柏くんだりまで赴いたとは言え、店舗が改札の中なのはありがたい点である。
スタンプ集めは既に終わっているが、いくつかの駅を回ってみた。
浜松町は、去年はホームの小便小僧に帰マンの服を着せていたが
今年は、ウルトラマンの父(スタンプキャラクターはゼットン)。
また、この駅の特設会場にあるジオラマは、いく度に配置が変わっている。
前は、帰マンがベムスターにやられて倒れていたが、それはなくなって
代わりに初代マンがグドンと一緒に倒れていた。意味不明である。
目白駅はプロテ星人。
学習院にあるピラミッド校舎がロケに使われたことにちなんだチョイスだが
このピラミッド校舎についての説明のパネルが追加されていた。
私もここは良い思い出があるのだが、またそれは別の話で。
ちなみに「ピラ校」というのが愛称なのだが、このことは書かれていなかった。
JRの駅には、通常それぞれの駅のスタンプ台があり
場所によっては、ウルトラマンスタンプラリーの物と勘違いしないように
JRスタンプ台に注意書き(これはウルトラマンスタンプラリーではありません)が
ある場合があるのだが、目白駅には
「プロテ星人は、右うしろ券売機横にいます」という説明の横で
プロテ星人(の写真)が「こっちだよ~」と言っている。
代々木駅はガボラ。
ここの同様に、JRのスタンプ台に
「参加の全隊員に次ぐ。ここはM78星雲ではない。ここは駅スタンプ台である。
M78星雲は後ろにあり」と書かれている。
中野駅(バキシム)の、みどりの窓口に、ジオラマが置かれているのに気付いた。
バルタン星人、初代マン、バキシム、セブンが東京駅の前に並び、
その前に中央線のオレンジ色の車両が置かれて(中には倒れた車両も)いる。
またスタンプ台の横に、この日のピンバッジの在庫状況のサイトのページを
プリントアウトしたものが貼られていた。
出力されたものは10:00(30だったか)時点のものだが、
その後の経過も手書きで反映させたあり、
確か、16時台に全駅で在庫がなくなったようである。
中野駅の配慮を感じる対応だと思う。
たまむすび(TBSラジオ)の中での、町山智浩の
『1月にした早くも2016年の映画ナンバー1決まり』という強い推しっぷりに
観にいきたくなった。
なんかタイトルが「ハウルの動く城」みたいだなあ、などと一旦想像したら
チケット窓口で「サウルの動く城」と言ってしまうのではないか不安に駆られてしまった。
無事チケットを買った後でも「サウルの城」と自分は言ってしまっていたんじゃないかと
軽く不安になったが、チケットを手にしているということは事なきを得たのだろう。
さて、映画だが町山智浩の解説を先に聞いていたおかげで
その特殊な演出に戸惑うことなく、映画全体の演出意図はすぐに理解できた。
主人公を長回しで追いかけるカメラは、時に背中を画面中央に捉えつつ
観客を主人公の体験と同化させ、主観映像のようにユダヤ人収容所の中を観客に見せる。
主人公がいるその場の周囲の風景にはピントが甘くなっており、
自然、観客は何が写っているんだろうと、目を凝らし、
起こっている出来事を目撃しようと促される。
多くの場合、裸の死体が写っており、
観客におぞましい事実に主体的に立ち会わせようという演出意図ど同時に、
裸体にボカす機能も副次的にではあるが果たしているとも言えるだろう。
映像の刺激の強さで、事の重大さを認識させるタイプとは正反対にある手法であり、
観客が事態を把握しようとする能動性を惹起しようとする演出である。
『見せられている』のではなく『見ようとする』姿勢を喚起するということは
逆に『見ようとしない』、あるいは『見まいとする』姿勢を導出する可能性もあるということでもある。
私の意識は、こちらに働いた。
決して、悲惨な現実から目を背けようとした訳ではないのだが、
広く知られた出来事でもあり、また人間による人間に対する愚かな行為という意味では
『無理に見るまでもない』と判断して、映画の作りそのものの意識を働かせて見た。
そうした人間の行為は映画でわざわざ見るまでもなく、おおよそ見当が付く、と言ったら
言い過ぎだろうか。
そう思ってしまったのは、別の理由もある。
小劇場系の映画館と言ってよいのだろうか、初めて行く映画館での上映だった今回の映画。
たとえば神保町にある岩波ホールなどは、小屋それ自体も気品がある上、
従業員やお客さんの挙措が上品で、普通の映画館とはさすが客層が違うと感じたもので、
今回もそういう映画館だと事前に勝手に思い込んでしまった自分のせいもあるのだが、
それこそ「普通」の映画館体験であった。
チケットカウンターの従業員も、客の座席選択にあまり親身な印象を与えない感じ。
客も、座っている私の前の隙間を通る時に、数人が会釈なく素通り。
他にも短時間にいろいろあったのだが、くどくなるので書かずにおくが
そんなこんなで、狭い空間で不愉快な思いをするという点では、
収容所で虐殺されたユダヤ人と負けず劣らず同じだとは言わないが、
映画の内容とともに、自分の置かれた環境もこみで、気分が悪くなったことは確かである。
おそらく、他人のマナーに文句をつけたくなって内心穏やかでなくなるくらいなら、
気にしないようにすることで、お互い平穏、というのが
人びとの振る舞いに見られる傾向だろう。
しかし、そうした無感覚状態に自分を置こうとすることもまた
過去の悲劇の中に見られるメンタリティなのである。
この点に関しては、同監督による短編
「ちょっとの我慢」に於いて端的に描かれている。
『1月にした早くも2016年の映画ナンバー1決まり』という強い推しっぷりに
観にいきたくなった。
なんかタイトルが「ハウルの動く城」みたいだなあ、などと一旦想像したら
チケット窓口で「サウルの動く城」と言ってしまうのではないか不安に駆られてしまった。
無事チケットを買った後でも「サウルの城」と自分は言ってしまっていたんじゃないかと
軽く不安になったが、チケットを手にしているということは事なきを得たのだろう。
さて、映画だが町山智浩の解説を先に聞いていたおかげで
その特殊な演出に戸惑うことなく、映画全体の演出意図はすぐに理解できた。
主人公を長回しで追いかけるカメラは、時に背中を画面中央に捉えつつ
観客を主人公の体験と同化させ、主観映像のようにユダヤ人収容所の中を観客に見せる。
主人公がいるその場の周囲の風景にはピントが甘くなっており、
自然、観客は何が写っているんだろうと、目を凝らし、
起こっている出来事を目撃しようと促される。
多くの場合、裸の死体が写っており、
観客におぞましい事実に主体的に立ち会わせようという演出意図ど同時に、
裸体にボカす機能も副次的にではあるが果たしているとも言えるだろう。
映像の刺激の強さで、事の重大さを認識させるタイプとは正反対にある手法であり、
観客が事態を把握しようとする能動性を惹起しようとする演出である。
『見せられている』のではなく『見ようとする』姿勢を喚起するということは
逆に『見ようとしない』、あるいは『見まいとする』姿勢を導出する可能性もあるということでもある。
私の意識は、こちらに働いた。
決して、悲惨な現実から目を背けようとした訳ではないのだが、
広く知られた出来事でもあり、また人間による人間に対する愚かな行為という意味では
『無理に見るまでもない』と判断して、映画の作りそのものの意識を働かせて見た。
そうした人間の行為は映画でわざわざ見るまでもなく、おおよそ見当が付く、と言ったら
言い過ぎだろうか。
そう思ってしまったのは、別の理由もある。
小劇場系の映画館と言ってよいのだろうか、初めて行く映画館での上映だった今回の映画。
たとえば神保町にある岩波ホールなどは、小屋それ自体も気品がある上、
従業員やお客さんの挙措が上品で、普通の映画館とはさすが客層が違うと感じたもので、
今回もそういう映画館だと事前に勝手に思い込んでしまった自分のせいもあるのだが、
それこそ「普通」の映画館体験であった。
チケットカウンターの従業員も、客の座席選択にあまり親身な印象を与えない感じ。
客も、座っている私の前の隙間を通る時に、数人が会釈なく素通り。
他にも短時間にいろいろあったのだが、くどくなるので書かずにおくが
そんなこんなで、狭い空間で不愉快な思いをするという点では、
収容所で虐殺されたユダヤ人と負けず劣らず同じだとは言わないが、
映画の内容とともに、自分の置かれた環境もこみで、気分が悪くなったことは確かである。
おそらく、他人のマナーに文句をつけたくなって内心穏やかでなくなるくらいなら、
気にしないようにすることで、お互い平穏、というのが
人びとの振る舞いに見られる傾向だろう。
しかし、そうした無感覚状態に自分を置こうとすることもまた
過去の悲劇の中に見られるメンタリティなのである。
この点に関しては、同監督による短編
「ちょっとの我慢」に於いて端的に描かれている。