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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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パチンコやらないので、店先などの広告を見かけるだけですが

宇宙戦艦ヤマトのパチンコが稼働中の模様。

なんじゃ、こりゃって感じの絵で

古代がなんだか面長で、メガネをはずしてアクティブな性格に変貌した南部のようだ。


ヤマトが波動砲を撃ちながら、ノズルも噴射しているというあり得ない絵も。

沖田のヒゲの表現も、今時それはないだろうって感じのモフモフ感。

デスラーだけ、ちょっと良かった気がする。

お店の前通ったらヤマトの主題歌がかかってたので

今度、中に入ってみよう。
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見出しの左は、従来通りの言い方で

右が近年、聞くことが多くなった(あるいは自分も使うようになった)表現である。

例えば公共の場などで、迷惑な行為にあった時などに相手にかける言葉として

「やめてもらえませんか」はストレートに行為を制する、

つまり「ストップしてほしい」という自分の意思を伝える文言だが

「やめてもらっていいですか」は、やや婉曲な表現で、

いきなり話者の希望を伝えるのではなく、

一旦、相手の行為を容認(するかのような表現を)した上で、

ストップする権限はあなたにあるので、その権限を行使していただいてよろしいでしょうか、

といった形で、話者側からの「禁止」のニュアンスを和らげている。

直裁なコミュニケーションができない(しない方がよい)ケースで

用いられる、または精練されてきた言い回しだと思われる。



ところで「機動戦士ガンダム」の中で、前から良い意味で気になっていたセリフがある。

「このスピードで迫れるザクなどありはしません」だ。

シャアのザクがホワイトベースに接近してきた時のオペレーターのセリフだ。

ポイントは「ありはしません」のところだ。

普通なら

「このスピードで迫れるザクなどありません」とするところだ。

しかし、富野由悠季(当時喜幸)は(と断定して構わないと思うが)

「ありません」ではなく「ありはしません」と、言わせるのだ。

いきなりの否定ではなく、一旦「有り」という肯定形を挟んでからの否定。

上の例のロジックと似てないだろうか、いや似てはいないだろうか。


ガンダムがヒットした当時のアニメージュに

他のアニメスタッフから見たガンダム評がまとめて特集されていた中で

長浜忠夫(ボルテスVなどの監督)が

「もっと普通の言い回しがあるのに、わざわざわかりにくい言い方をしている」
(文言は今、記憶だけで筆者が書いているのでかなり不正確)
といったようなコメントをしていた。

その時点で、ガンダムの良さそのものが分かってない、あるいは

それに対する拒絶なのだろうかと思ったものだが、
(ちなみに長浜監督の作品はそれはそれで筆者は好きである)

今になってようやく、その言葉遣いの回りくどさの意味するもの、

背景にある、コミュニケーションについて抱いていたであろう富野由悠季自身の

不全感みたいなものの表れだったのではないだろうかと思うのだ。
一週間ほど前だったが

「あっぱれさんま大先生」などの元子役のタレントを集めた番組(中居正広のやつ)で

初めて見て、あっという間にその後ちょいちょい見かけるようになった加藤 諒。

独特の濃い顔が、さかなクンに似ていることにはすぐ気付いたが、

どこか女性的な要素も含まれていることから脳内検索したところ

武井咲美にたどりついて。

そう思って見てみ。姉と弟みたいだから。
「オデッセイ」という映画が公開中だが(特に観てはいない)

「オデッセイ」という単語は、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に由来し、

トロイの木馬で知られるトロイ戦争の英雄・オデュッセウスが

自分の国に帰るまでの10年ほどにわたる航海を描いた物語だそうで、

そこから転じて、長い帰還の途につく物語を、オデッセイというらしい。

ウルトラマンティガの映画でも「ファイナルオデッセイ」という副題の映画があったが、

ティガが数々の戦いを経て、本来の姿に戻るお話だった。


ウルトラシリーズにはもう一つ

「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY」というのがあるが 

これの旅は永遠に終わらないのだろうか。つらそうだな。今度ちゃんと見てまっせー。
2月13日(土)
フジテレビで漫才やコントのスペシャル番組が放送された。

昨今、フジテレビはちょいちょいこの手の番組をやっている気がするが

巷間伝えられる局全体としての数字の悪さの反映なのだろう。

レギュラー番組のめちゃイケも休みがちだし、実際私も前ほど見なくなっている。

日テレに「エンタの神様」という番組があったが

新人芸人にリズム芸などをやらせて「旬の笑い」をお茶の間にお届けしよう、

という魂胆だろう。魂胆というほど悪いものではないと思うが

なりふり構っていられない感じがするし、実際面白かったのだが

その象徴がナイツがSMAPの解散騒動をネタにしたことにあらわれているだろう。

攻めてるなあナイツ、という感想を抱いたが

フジテレビが予めネタをチェックして当然オーケーを出して収録しオンエアしている訳だから

フジテレビの姿勢である点も見逃すべきではないだろう。

この種の時事ネタは爆笑問題の十八番(おはこ)であり、この番組にも出ていたが、

そのお株を完全に奪っていた格好である。

解散のみならず、もっと遡って森クンまでネタにするとは(名前は出していないが)。


また、あの一件でSMAPやジャニーズのイメージがやや下がったと思われることも

攻めの姿勢を取れる背景にはあるのだろう。

「攻め」とは言っても、ナイツのそもそものキャラクターのなせるわざか、

時事ネタ(しかも今回のは大手事務所の人気タレントのスキャンダル)を扱っても、

毒気を感じさせるないという意味では、爆笑問題(の特に太田)とは正反対の立ち位置にいる。

立ち位置というのは、別にボケ役の立ち位置が逆(太田が上手で塙が下手)という意味ではないが、

しかし、この番組での爆笑問題の影の薄さに対し、

ナイツが強い存在感を放っていたことは確かである。


番組内の前振りで「ナイツの禁断のジャニーズ漫才!」などと煽っていることからすると、

意外と、ジャニーズへの根回しのようなものが既にあったのかも知れない。

「攻め」の姿勢に見えるだけで、実はお手盛りなのかも。

SMAPもジャニーズに残ったとは言え、一旦は出ていこうとしたようだし

ジャニーズとしても、別にSMAPならいじってもらって構わない、ということだったという気もしてきた。

そういう意味では、ナイツの「肛門見えても(こう見えても)」のいうギャグを

「私の肛門はきれいです」と言った松岡茉優の捨て身とも言える受けが

一番攻めていたかもしれない。
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