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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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報道STATIONサンデーを見ていると

イギリスの国民投票で「離脱」に投票はしたものの、後悔している、

今から投票をやり直せるのであれば、残留に入れ直したい、という意見もあるようで

たぶん、こういう人がいるだろうと思っていた。


おそらく移民流入による職業環境の不安定化などなんとかすべき問題を認識は広く共有されていながら

「なら、移民を排除せよ」という短絡的思考に絡めとられてしまっていたのだろう。

「問題はあるけど、移民排除はよくない」という態度はともすれば「じゃあどうすればいいんだ」という

感情的な反発を招きやすく、またそれに対して明確な答えは呈示しにくい。

究極的には、どういう人間を目指すべきかという人間観、

どういう世界を理想とするのかという世界観、に関わる問題、それこそ「理想論」だからであり、

感情論に負けやすい。これは、人間が根本的に抱えている「弱さ」であって、

この弱さが「移民を排除せよ」という強い主張に絡めとられやすい。


おそらく、離脱に一票投じたが、結果の大きさに驚いて後悔しているという人は

人間としての弱さに一旦は負けてしまったが、その弱さの自覚に至った人だろう。


人間は誰でも、少なくとも最初は未熟で、それでいてエネルギーがあるので

暴走をしやすい。


しかし、社会がセーフティネットとして機能する限りに於いては、

そうした暴走を、なんとか抱え込んでいられたのである。

イギリスの国民投票が実施される前は、結局は残留の票が過半数を越えるだろうという予測が多かったのは、

理性的な判断がセーフティネットとして機能することへの信頼があったからだろう。


しかし、結果は、感情的な表出を投票という公的な権利行使の場でも行ってしまう傾向に流れた。


後悔している人たちもまた、全体としては良識が働くことを心のどこかで期待していたのだろう。

おそらく責任を取る主体が、自分以外のところにあると思っている人達が

当人たちの見積もりを越えて多かった、ということだろう。

これは、子供が大人に(一般的にという意味で)期待する態度である。

母親に、と言っても良いだろう。

公道で暴走行為を働くメンタリティーは、別に国民全員が暴走することなど望んでいないはずなのだ。

自分の中から沸き上がる衝動を自分では抑えられないが、

自分の外の力で抑えてくれることを、抑えてもらった後にそう望んでいたと気付くことによって

自分を理解する、といったパターンだ。


要は「不満として表れてしまうこのエネルギーの奔流をうまく水路づけてくれ」ということなのだ。

これは、イギリスに限らず人間について普遍的な問題と言っていいだろう。


内向的だった少年アムロは、ガンダムを大地に立たせたことによって

大人への道を歩む、ガンダムのストーリーは端的に言ってそういう話だ。

しかしアムロが本来持っていたナイーブさが

周囲との軋轢となって現れ、ガンダムを(戦艦ホワイトベースを)降りてしまうこともあったが、

しかし戻ってきたアムロはその後、過剰適応と言ってもいいほどの活躍をガンダムで示すことになる。

シャアがそれを「君はニュータイプの能力を率直に示しすぎた」と表現した。

「すぎた」はこの場合、暴走という意味だ。

アムロはガンダムの能力をも越えていく。

「機動戦士ガンダム」は人間のポテンシャリティ=潜在能力、と、その解放がもたらす帰結の物語だ。

「ガンダムユニコーン」では、それを「可能性の獣」と表現した。


動物でありながら、感情の表出と理性の抑制に悩まされるのが人間本来のあり方なのである。

一人一人がこの葛藤から逃れて、動員されるようになってしまえば、

結論は個々人が望まぬ方に転がる。ナチスドイツの歴史はそういうものの反省をもたらすものとして意味がある。


映画「風の谷のナウシカ」のナウシカも、怒りに駆られて自分を止めることができないことを嘆き、

王蟲を暴走させようとする人間を憎み、身を持ってこれを制した。



ウルトラマンXも(話が飛ぶようだが)劇場版のラストでは「世界のバランスをとるため」戦うと言って地球を去っていった。

ウルトラマンはわれわれの世界にはいない。

バランスを取るべきは、一人一人の意識の中に、そしてその総意としての選挙結果や

世の中の状態として現れるしかないだろう。



結論を急ぐ。

次の参議院選の投票では、イギリスの国民投票を他山の石とするべきだ。

現状は、衆議院では与党が圧倒的過半数をカバーしているので

彼らの行き過ぎを適切にコントロールする意味で、参議院は野党が大勢を占めるのが

望ましいバランスと言えるだろう。

政策の中身を議論するための場に真っ当なバランス感覚が働くようにする意味で

ウルトラマンX風に言えば「ほかにやることがあるなら言ってみろ」というぐらい

シンプルな状況である。


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