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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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参院選の不在者投票が始まったというニュースの中で

立会人の席に18歳(たぶん)の高校生が座っている光景を見た。

投票権のみならず、こういう役割までやらせるのね。

まあ見てるだけとは言え、管理する方もやらせるわけだ。


ものごとの順番を完全に間違っていると言ってよいだろう。

政治はおろか世の中のことすら(何歳になってもなかなか分からないと言えばそうだ)分からないだろう。

年端のいかない青少年をこういうところに駆り出すのは

プライオリティを完全に踏まえていないと言って然るべきだろう。

彼ら自身に聞いてみたら

「なぜ自分たちに新しい権利が付与されたのか。権利拡大が行われたのか」

実感を持って答えられる者など、そうそういまい。


この法律は、人間を

人間としての内実などは棚上げして

「一票」としか見ていない。

一票ならまだ一人の人間が一対一で対応するが、何千、何万の票、言ってしまえば

「ひと山いくら」の「量」とし扱っているのだろう。

「ボリューム」と言い換えてもいい。テレビの音量を上げ下げする時のスライダーのように

まとめて上げ下げして計量可能な「量」として扱っているのだ。

普通の言い方なら「マス」=大衆だ。


現時点ではやや大袈裟に聞こえるなら、それでも構わないが

人を人として扱わない、一定の格=人格を認められていないことを当事者たちが良しとしてしまうと、

つまりそう扱われることに疑問を抱かないとすると、

国の危急存亡の時には、それこそ人格を無視した扱いを免れないだろう。


「ラベル」や「レッテル貼り」という言葉が抽象概念として語られている間はまだマシだ。

手触りのある「紙」として「おまえは赤」「お前は白」

そんな物が各家庭の郵便受けに届くようになってからでは遅い。

今の流れに身を任せることの先にそうした可能性を折り込んで対処する必要があるだろう。

次の参議院選はそうした判断の機会であると考えてほいた方が良いだろう。









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