特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています
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「Le Petie Prince」の著作権が切れてから出された多くの日本語訳が
「星の王子さま」というタイトルを踏襲している本が多い中、
「星から来た王子」という本を発見。
注釈や解説がほどよく充実していて
例えばバオバブについては
フランスがドイツに占領されたことの比喩であろうという解説が付されている。
本文中の、バオバブが王子の小惑星を覆っている描写を
内藤濯版では「はびこる」としているところを「占領」と訳しているのは
上記の解釈を反映させたものだろう。
ちなみに
三本のバオバブが日独伊三国同盟を指しているという説に対しては
「いささか理に落ちすぎているような気がします」と距離を置いている。
「星の王子さま」というタイトルを踏襲している本が多い中、
「星から来た王子」という本を発見。
注釈や解説がほどよく充実していて
例えばバオバブについては
フランスがドイツに占領されたことの比喩であろうという解説が付されている。
本文中の、バオバブが王子の小惑星を覆っている描写を
内藤濯版では「はびこる」としているところを「占領」と訳しているのは
上記の解釈を反映させたものだろう。
ちなみに
三本のバオバブが日独伊三国同盟を指しているという説に対しては
「いささか理に落ちすぎているような気がします」と距離を置いている。
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TBSラジオ 永六輔 六輔七転八倒のゲスト出演を体調不良のため欠席。
TBSラジオ ウィークエンドシャッフル
26日(土)取り上げる映画はリトルプリンス星の王子さまと私
26日(土)取り上げる映画はリトルプリンス星の王子さまと私
まず時系列を確認しておこう。
テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が世に出たのは1974年。
その後、再放送を通じて人気が出て
映画として公開されて大ヒットしたのが1977年である。
「スターウォーズ」の日本公開はその翌年の1978年であって、
この手のジャンルが好きな日本人はおそらく先にヤマトを観ているのではないだろうか。
私もヤマトに先に接し、ファンになっている。
当時はむしろ、スターウォーズ公開当時は同時期に日本へやってきた
「未知との遭遇」と比較、つまりどちらが好きかという話題のされ方の方が多かったと記憶するが
(それはおそらくルーカス派かスピルバーグ派かといった形で
観客は自分自身の嗜好傾向を意識したものと思われる)
それでも個人的には、ヤマトとの対比の中でスターウォーズを観ていたことも
偽らざるところではある。
公平に観る意味でも、また映画史に残る作品だろうという予感もあり
きちんと前売り券を買って、最初の三部作は劇場に足を運んでいる。
映像のクオリティとしては圧倒的にスターウォーズの方が上回っていることは確かだが
敵の戦闘機を撃墜してヒャッホー(今の表現ならヒャッハーか)と快哉を叫ぶノリには
表現として率直に抵抗感を感じたし、
また敵を倒して勲章をもらってハッピーエンドというラストにも
映画の結末としては何らおかしくないとは思いつつも、戦争を扱う映画として好きにはなれないと感じたのは
やはり先にヤマトを観ていた影響がなかったとは言えない。
ヤマトのラスト(正確には敵の本星へ乗り込むクライマックス)は
完全勝利を迎えたヤマト(側)が、戦いそのものを後悔するというものである。
ここに、敗戦国日本のメンタリティの、屈折した内省的な戦争観を見る。
(後に庵野秀明が「ヤマトは敗戦国だからこそ出来たアニメ」と述べていることが
同じ意味かどうかは分からないが、大筋では同じだと思っている)
その意味で、スターウォーズは、
いかにも戦勝国の映画だなあと感じたものである。
テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が世に出たのは1974年。
その後、再放送を通じて人気が出て
映画として公開されて大ヒットしたのが1977年である。
「スターウォーズ」の日本公開はその翌年の1978年であって、
この手のジャンルが好きな日本人はおそらく先にヤマトを観ているのではないだろうか。
私もヤマトに先に接し、ファンになっている。
当時はむしろ、スターウォーズ公開当時は同時期に日本へやってきた
「未知との遭遇」と比較、つまりどちらが好きかという話題のされ方の方が多かったと記憶するが
(それはおそらくルーカス派かスピルバーグ派かといった形で
観客は自分自身の嗜好傾向を意識したものと思われる)
それでも個人的には、ヤマトとの対比の中でスターウォーズを観ていたことも
偽らざるところではある。
公平に観る意味でも、また映画史に残る作品だろうという予感もあり
きちんと前売り券を買って、最初の三部作は劇場に足を運んでいる。
映像のクオリティとしては圧倒的にスターウォーズの方が上回っていることは確かだが
敵の戦闘機を撃墜してヒャッホー(今の表現ならヒャッハーか)と快哉を叫ぶノリには
表現として率直に抵抗感を感じたし、
また敵を倒して勲章をもらってハッピーエンドというラストにも
映画の結末としては何らおかしくないとは思いつつも、戦争を扱う映画として好きにはなれないと感じたのは
やはり先にヤマトを観ていた影響がなかったとは言えない。
ヤマトのラスト(正確には敵の本星へ乗り込むクライマックス)は
完全勝利を迎えたヤマト(側)が、戦いそのものを後悔するというものである。
ここに、敗戦国日本のメンタリティの、屈折した内省的な戦争観を見る。
(後に庵野秀明が「ヤマトは敗戦国だからこそ出来たアニメ」と述べていることが
同じ意味かどうかは分からないが、大筋では同じだと思っている)
その意味で、スターウォーズは、
いかにも戦勝国の映画だなあと感じたものである。
版権が切れて、様々な翻訳が世に出ている中で
選んだのが「ちいさな王子」
他の多くの新訳版が「星の王子さま」という、内田濯創案の題を踏襲しているのに対し
(ちなみにこのことについて池澤夏樹がその理由を訳書のあとがきか前書きで述べている)
「Le Petit Prince」(The Little Prince)という原題の直訳を採用していることから
「日本で既に親しまれている」ということを前提としないスタンスであろうと解釈し
内藤版との比較をする上では最適なのではないかと直感し購入した。
ただいま、一行ずつ比較しながら読み進めている。
選んだのが「ちいさな王子」
他の多くの新訳版が「星の王子さま」という、内田濯創案の題を踏襲しているのに対し
(ちなみにこのことについて池澤夏樹がその理由を訳書のあとがきか前書きで述べている)
「Le Petit Prince」(The Little Prince)という原題の直訳を採用していることから
「日本で既に親しまれている」ということを前提としないスタンスであろうと解釈し
内藤版との比較をする上では最適なのではないかと直感し購入した。
ただいま、一行ずつ比較しながら読み進めている。