特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています
大泉パラダイスのブログです。
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映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」評
おおむね首肯で
きる内容で、特にお母さんの描き方(特にラスト)についての苦言については
同意見だった。
以下、映画ネタバレ込みで
映画のラストで主人公の女の子のお母さんを、もう少し救ってあげるところがあった方が
良かったのではないかという宇多丸の意見。
たしかにその通りで、その辺が小説版(竹書房版のノベライズ。ノベライズとは謳っていないが
「ノベライズ」を謳っている集英社みらい文庫版よりも小説として充実)では
おじいさんの病室を訪れて心を開いた時のお母さんの描写が映画より丁寧で
(キツネのぬいぐるみを抱き、より女の子の心理と同調している様が描かれる)
また、その後、
お母さんと女の子が望遠鏡を覗くシーンでは、
映画ではおじいさんの家の望遠鏡なのだが(説明はないが
おじいさんの家の望遠鏡がなくなっているのでそう類推できるようになっている)
小説版では、お母さんが買ってきた望遠鏡ということになっている。
映画の設定は、おじいさんの遺品としてその遺志を継いでいる感じがしてそれはそれで良いのだが
小説版の設定は、それまで誕生日のプレゼントを全て決めていたお母さんの有り様から
お母さんが脱却して、女の子との心理的な距離の縮まりを表すものとして登場している。
宇多丸の同様の懸念が抱かれ、解消されていると読むことができるだろ。
おおむね首肯で
きる内容で、特にお母さんの描き方(特にラスト)についての苦言については
同意見だった。
以下、映画ネタバレ込みで
映画のラストで主人公の女の子のお母さんを、もう少し救ってあげるところがあった方が
良かったのではないかという宇多丸の意見。
たしかにその通りで、その辺が小説版(竹書房版のノベライズ。ノベライズとは謳っていないが
「ノベライズ」を謳っている集英社みらい文庫版よりも小説として充実)では
おじいさんの病室を訪れて心を開いた時のお母さんの描写が映画より丁寧で
(キツネのぬいぐるみを抱き、より女の子の心理と同調している様が描かれる)
また、その後、
お母さんと女の子が望遠鏡を覗くシーンでは、
映画ではおじいさんの家の望遠鏡なのだが(説明はないが
おじいさんの家の望遠鏡がなくなっているのでそう類推できるようになっている)
小説版では、お母さんが買ってきた望遠鏡ということになっている。
映画の設定は、おじいさんの遺品としてその遺志を継いでいる感じがしてそれはそれで良いのだが
小説版の設定は、それまで誕生日のプレゼントを全て決めていたお母さんの有り様から
お母さんが脱却して、女の子との心理的な距離の縮まりを表すものとして登場している。
宇多丸の同様の懸念が抱かれ、解消されていると読むことができるだろ。
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以前、日本橋高島屋で開催されていたリトルプリンス展に行った時に
完全に見落としていたのだが
高島屋の建物の外壁に、映画のストップモーションパートのデザイナーである
アレックス・ユーハスの手による、イラストが数点掲示されている。
横浜高島屋のリトルプリンス展に行った時には建物の外を一周して
なにかないかとチェックしていたのだが
日本橋については後から友達に教えてもらった。
まことに感謝感謝である。
展示が終わった後であるが、まだ健在であった。
ちなみに「アレックス」は「アレキサンダー」の愛称であるが
映画製作時に描かれたイメージボードのサインでは
2014年のものには「Alex」と書かれているが
2013年のものには「Alexander」と書かれているのを発見したが
特に意味があるのかないのかはわからない。
完全に見落としていたのだが
高島屋の建物の外壁に、映画のストップモーションパートのデザイナーである
アレックス・ユーハスの手による、イラストが数点掲示されている。
横浜高島屋のリトルプリンス展に行った時には建物の外を一周して
なにかないかとチェックしていたのだが
日本橋については後から友達に教えてもらった。
まことに感謝感謝である。
展示が終わった後であるが、まだ健在であった。
ちなみに「アレックス」は「アレキサンダー」の愛称であるが
映画製作時に描かれたイメージボードのサインでは
2014年のものには「Alex」と書かれているが
2013年のものには「Alexander」と書かれているのを発見したが
特に意味があるのかないのかはわからない。
星の王子さま☆学 片木智年 慶應義塾大学出版 2005年12月10日発行
原題「Le Putie Prince」の「prince」を「王子」と訳すことから疑問を呈する本。
フランス語の「prince」は本来、ある丁度において主権・君主権をもつもの、
つまり「王」、「君主」、「領主」をあらわす言葉
とのことで、日本語で「王子」に抱くような王様の子供といった意味ではなく
「小さな君主」「小さな貴公子」などと訳されるのが望ましいという主張。
本文に登場する「grand prince」の持つ意味や、
サン=テグジュペリの他の著書「人間の土地」の記述とも照らし合わせ、
「prince」すなわち「君主」でサン=テグジュペリが謂わんとしたところは
つまるところ、私の言葉で謂えば「責任を持った主体性としての人間」ということになる。
狐と王子との場面に登場する「apprivoiser」という、
「飼いならす」「なつかせる」などと訳される単語に
「なつける」という古い言い回しをあてはめることで
その意味するところを、動物を手なずけるような事柄ではなく
社会と人間の関係が成熟することにある、と明らかにしていく。
まだ読み始めたばかりの本だが、すでに得るところ大である。
原題「Le Putie Prince」の「prince」を「王子」と訳すことから疑問を呈する本。
フランス語の「prince」は本来、ある丁度において主権・君主権をもつもの、
つまり「王」、「君主」、「領主」をあらわす言葉
とのことで、日本語で「王子」に抱くような王様の子供といった意味ではなく
「小さな君主」「小さな貴公子」などと訳されるのが望ましいという主張。
本文に登場する「grand prince」の持つ意味や、
サン=テグジュペリの他の著書「人間の土地」の記述とも照らし合わせ、
「prince」すなわち「君主」でサン=テグジュペリが謂わんとしたところは
つまるところ、私の言葉で謂えば「責任を持った主体性としての人間」ということになる。
狐と王子との場面に登場する「apprivoiser」という、
「飼いならす」「なつかせる」などと訳される単語に
「なつける」という古い言い回しをあてはめることで
その意味するところを、動物を手なずけるような事柄ではなく
社会と人間の関係が成熟することにある、と明らかにしていく。
まだ読み始めたばかりの本だが、すでに得るところ大である。
唐沢寿明が反省を振り返る中で、
「10号誕生! 仮面ライダー全員集合」のライダーマンの映像が使われた。
「10号誕生! 仮面ライダー全員集合」のライダーマンの映像が使われた。
日本で最初に「Le Putie Prince」を翻訳し「星の王子さま」と題した
内藤濯(ないとう・あろう)の著書「星の王子とわたし」を読んだ。
(関係ないがなぜここで「さま」を題から外したのか、
つけていれば映画の邦題と同じになったのに)
内容もさることながら、
内藤濯の息子さんによる後書きが面白かった。
「星の王子さま」には、劇団雲の俳優によるレコードが存在し
小池朝雄(わたし)、岸田今日子(王子)、名古屋章(キツネ)といった配役らしい。
刑事コロンボとムーミンの会話が一体どんな空気を醸し出すものなのか
ぜひとも聴いてみたい。
内藤濯(ないとう・あろう)の著書「星の王子とわたし」を読んだ。
(関係ないがなぜここで「さま」を題から外したのか、
つけていれば映画の邦題と同じになったのに)
内容もさることながら、
内藤濯の息子さんによる後書きが面白かった。
「星の王子さま」には、劇団雲の俳優によるレコードが存在し
小池朝雄(わたし)、岸田今日子(王子)、名古屋章(キツネ)といった配役らしい。
刑事コロンボとムーミンの会話が一体どんな空気を醸し出すものなのか
ぜひとも聴いてみたい。