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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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今朝の「動物戦隊ジュウオウジャー」

CMの前の入るカットが、二回もアムだった。

やけにかわいさを強調したシーンも多く、番組としてアム推しな感じがするのは気のせいか。

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アニミズムという言葉には既に人口に膾炙しているが

ジュウオウジャーによって、「トーテミズム」という言葉が

広まっていくのではないだろうか。

(トーテムという舞台も催されていることもある)


アニミズムは、あらゆるものに神が宿っているという考え。

トーテミズムは、動物が人間の祖先と考えること。

大昔の人は、自分たちと動物を同じ系譜に属するものと捉えていたようで、

それを「トーテムポール」として形に表している。


進化論が唱えられるより遥か前に、彼らは真実を知っていたのだ。


かつては「未開」と言われていた彼らのあり方が、

レヴィ=ストロースによって、それは今のわれわれより劣った考えなのではないとされ、

以後、「未開」ではなく「野生」と言い換えられるようになったようだ。


キリスト教的な世界観=神様が人間を作った、からすると

人間の祖先が動物であるはずはなく、自然は人間が支配するべきものとされるが

進化論が教えるところ、また野生の思考によれば、鳥類もまた人間の祖先であり、

われわれは羽を失って地上で暮らしているのである。


ここからは私の勝手な想像であるが、

キリスト教における『天使』の存在は、

空を飛べなくなった人間の、飛ぶことへの憧れが生んだ存在、

空を飛ぶ能力が神への橋渡しをするものとしてイメージされたものなのではなかろうか。

アニメ「アルプスの少女ハイジ」には、

山のいただきに住む大鷲(おおわし)が、

人間を見下ろす孤高の存在に喩えられているのを思い出す。


「動物戦隊ジュウオウジャー」では、他の四人がライオンや虎など

地上(または海)にしばりつけられたキャラクターであるのに対し、

主人公は、重力から自由になれる鳥である。

四人が彼をうらやましがるシーンがあるが、

歴史的な背景を考えると、人類の進化の中で失ってきたものへの憧れが投影されていると

見ることもできるのではないだろうか。



朝一で、「ニンニンジャーVSトッキュウジャー」を観て
(ライダー1号の予告を期待して行ったのだがやらなかった)

仮面ライダー1号の前売りを買いつつ、予告を見て、

ウルトラマンXの試写会を見て、

見事に戦隊→ライダー→ウルトラのはしごをした一日であった。


あ、ゴジラの特報も見たな。
動物戦隊ジュウオウジャーのエンディング曲

戦隊シリーズのエンディングが、

出演者が視聴者に対し共にダンスをするよういざなうような形式になって久しいが

今年も然り。

この中で「言葉なんかいらない まねしよう」といったような一節がある。


これが、従来通りの「一緒に踊ろう」のみならず

この戦隊の「動物」モチーフと重ね合わせて見ることができるところが面白い。


「模倣」は、その昔アリストテレス辺りから「ミメーシス」という言葉で

重要とされてきた概念だそうである。

さらに遡り、

アッシリアから戦闘に於いて用いられてきた「ファランクス(集団密集戦法)」に

由来するもの、とのことで

「伝染」などとも訳される。


本来の意味は、立派な行為に心打たれ、それが伝染する・感染するということで、

誰かの真似をする、ということの前提に「立派な行為を(人を)」というものがあるはずだが、

おそらく近年この辺が変わってきている。


自分の上位の人や優れた行為を真似するのではなく、

下位の人や劣った人の行為を真似する、というケースが増えているはずである。

また、その背後には「生きにくさ」の感覚があり、

その解消として「あの人たちは、あんな風にして生きやすくしているようだ」という発見があって

そのことが伝染しており、

筆者の実体験としては、1970年代に不良文化が広まったことに端を発していると思っているが

世代を経て、ヤンキー文化やヤンキー漫画の隆盛の中で

「ダンス」の学校教育の導入にまで至ってる、と考えている。


そうした流れの中で「動物戦隊」に於ける「ダンス」と「模倣」は

日本人の文化的な流れの中で、一定の整合性をもった「結果」あるいは「帰着」として

あるのだろう。

個人的には、それらの文化とは足並みを揃えないで生きてきたが、

「楽しければいいなじゃないか、何が問題なんだ」と言う人には特に返す言葉はない。

オープニングの言葉にある通り『群』の行動形態として、まさに「自然」であるだろう。

だが、やはり「どこかに問題があるのではないか」と微かに思う人には

こうして語りかけ、その感覚を共にしたいとは思っているのである。
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