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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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コミケ進行の中でブログで全く触れていない、公開中のゴジラ。

さまざまな上映形態を極力カバーしようと思い、ちょいちょ足を運んでいる。

以下、メモついでに

1回目 通常スクリーン
2回目 IMAX
3回目 4DX
4回目 MX4D
5回目 極上爆音上映+字幕
6回目 TCX(TOHO LARGE SCREENだったかな)
7回目 極上爆音上映+字幕
8回目 極上爆音上映+字幕

ということで8回中、極爆上映に3回行っている。
これが最上、まさに極上。4DXなんかよりもずっと良い。
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伊集院光のラジオで翌日のゲスト紹介

「たやまりょうせいさん」と言った瞬間、

どこぞのイケメン俳優かと思った次の瞬間、おじさん俳優であると気付いた。



「りょうせいさん」によってほんのりイメージされるイケメン俳優は

竜星 涼(キョウリュウレッド)

横浜流星(トッキュウ4号)

役名だが、仮面ライダーフォーゼのメテオ・朔田流星

古いところでは(これも役名)超人機メタルダーの剣流星

などがいる。


あ、全部「りゅうせいさん」だ。

一番最初の「りゅうせい りょう」だけ、「りょう」が入っているが「りょうせいさん」は一人もいない。
昔「月間OUT」に「宇宙編集者アウトシャイダー」という連載企画があった。

「宇宙刑事シャイダー」のパロディでOUTの編集長がアウトシャイダーの着ぐるみを着ての

グラビア連載だったと記憶する。

といってもかなりうろ覚えなのだが、

この中で「ヨモスエ」という言葉が、世界観を表す単語として使われていた。

悪の秘密結社の名前か何かだったような気がするが

もちろん「世も末」を片仮名表記したものだ。

アニメのパロディなどで雑誌を出していること自体をセルフパロディにしたこの企画を

象徴的に表現していた気がする。

「こんな雑誌が人気なんてヨモスエだ」といったニュアンス。


まだ「ヨモスエ」が笑って享受できた、ということを懐かしく思う。


そして今「ヨモスエ」と片仮名で表すことは、「ノリ」を間違えるだろう。


人類破滅の年と言われた1999年は前後はまだ良かったと思う。

アメリカで大規模テロが起こった2001年も、ああいうことを起こす人間がいたことを

批判的に捉えることが可能だったという意味でまた健全な時代だったと思い起こすことができる。


「世も末」と感じるようになったのは、ここ十年ほどであるが

昨日のイギリスの国民投票の結果は、こうした感覚の決定打になった。

Zガンダムの富野由悠季の言葉で言えば「重力に魂を引かれた人々」が過半数を占めた、という感覚である。

ただ、こう書きながらも私自身は実は絶望していないということを書きたいのである。

私が「この人はまともだ」と思っている人が、イギリスの国民投票の結果を受けて

久し振りにメールをくれた。

相当ディプレッシブになっている(つまり落胆している)。


本当に「世も末だ」と実感する時があるとすれば、

まともな人だと思っていた人が、まともではない様子を見せた時だろう。

ろくでもない人が、ろくでもないことをするのはありふれたことだ。


彼の落胆は、彼がまだまともであることの端的な表れであり、私は安心した。

私からの返信の内容は言うまでもないだろう。

「まともでいよう」

それだけである。ただしメールでの文面はかなり違うが、要はそういうことである。


爆笑問題の日曜日のラジオ番組に押井守がゲスト出演した時、

既にこの映画を観た太田が「きつかったーー」と、本人の前で実感を込めて言ってたので

覚悟して観に行った。

字幕版と吹替版と同じ劇場でやっているのは、

TOHOシネマズ六本木だけのようなので、ここを選択。

両方観るつもりで出かけたのだが、

時間を間違えてたらしく、字幕版は既に始まっており

吹替版に観られなかった。


開始5分で周囲からいびきが聞こえ、

眠るまいと頑張っていた自分もふと気が付くと、ビクッとして起きるという瞬間もあったが

まあなんとか最後まで持ちこたえて鑑賞。


ラジオ番組と、あとネットの動画の音声か何かで

「世界の始まりと終わりを描くのがファンタジー」と押井守が言っていたが、



^^^^^^^^以下、若干ラストネタバレ^^^^^^^^^^^




実際、映画できちんとそこまで描いているかはちょっと怪しいラストだった。



昔は、ファンタジーとか異世界ものとかは毛嫌いしていて

アニメブームの頃にロードス島戦記なんかが人気があったらしいのだが

見向きもしなかった。なんか耳の長い人がお約束のように出てくるだけで

なんだか、へーーーと通り過ぎ。

その後、映画「ロード・オブ・ザ・リング」が面白かったので

原作の指輪物語を、追補編やら、シルマリルの物語というサイドストーリー的なやつまで

ほぼ読破。

そこでファンタジーの意味はおおよそ理解できた気がしていたのだが

押井守の「世界の最初から最後までを描くのがファンタジー」という言葉に

ああ、なるほどなー、とは思った。

「異世界」を描くことの意味を、昔の自分は

ただの現実逃避や夢物語の中で遊ぶようなイメージで捉えていたのだが、

現実世界の「前史」として、作られたのが「指輪物語」だと理解した私にとって

「最初から終わりまで」という、押井守が語るファンタジー映画は是非とも観ておこう、

とは思ったのだが、ラストはやや肩すかし。

たぶん、ヒットして続編でも作られれば、もっと壮大な展開があるのかも

とは思ったりするものの、ヒットはしまい。

パンフレット買いました。一応、面白かったです。眠かったけど。
DVDでのマイティジャックの見直しが最終回まで辿り着いた。

13話での打ち切りによるテコ入れであろうか、

最終回まで2話ほど残した段階で

11人いるレギュラーメンバーのうち、二人が殉職、一人は姿を見せなくなり、

新メンバー二人が加入する。

睦五郎と真理アンヌの加入が、画面の華やかさを加える意図だと思うのは

殉職した二人が、地味な感じの人たちだったから。

出なくなった一人というのは、年配の女性でスナックのママもやっているキャラクターで

「大人の女性の色気」担当とでも言えるポジションだったが、

これを真理アンヌに変えたのは、「若い女性の色気へのチェンジ」という意味なのだろう。

登場2話目ではダンスシーンがあるのだが、その次の最終回には登場しない。

しかし、「若いお色気」パートはゲストの松岡きっこがこれを担っており

水着とダンスシーンとミニスカートを披露。

また、画面の派手さを狙っているのか彩り取りの風船が、

事件の要になるアイテムとして登場し、二谷英明と松岡きっこをピンチに陥れたりする。



話は飛ぶが、

この松岡きっこ、わがままな新人タレントという役所なのだが

その行状を女性マネージャーがしかるシーン。

「聞き分けなさい」というセリフがあるが、

かなり懐かく感じたのは、これが死語になっているからか。


上司が部下を、親が子供をしかる時など、昔は「聞き分けなさい」とか

「聞き分けのない(子だ)」「聞き分けの悪い(やつだ)」などと

確かに昔は言っていたと思う。


最近だと、「言うことを聞きなさい」とか「静かにしなさい」など

ストレートに命令口調での叱り方になっていることが多いのではないだろうか。


「聞き分けなさい」は、語尾こそ命令形ではあるが

「聞き分ける」という叱られる本人の主体的な働きかけを促している、という意味では

上司や親から見て、たとえ未熟な存在であったとしても、

内在する成長の可能性に対する信頼があった、と感じらるのである。

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