特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています
大泉パラダイスのブログです。
カレンダー
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/10)
(02/08)
(02/07)
(02/04)
(02/03)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
opara
性別:
非公開
ブログ内検索
最古記事
(07/14)
(07/15)
(07/17)
(08/03)
(11/18)
アクセス解析
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
要潤の誕生日だというので思い出したが、劇場版仮面ライダーアギトの中の
氷川誠の台詞。「生きることを素晴らしいと思いたい!」
「素晴らしい!」と言い切るのでもなく
「素晴らしいと思う!」と表明するのでもなく
「と思いたい!」と、段々自己の内面に退却していくこの言葉が
氷川誠の痛切を表現し得ている。
井上敏樹の脚本に通底するのは、ここにも見られる「屈託」。
「夢」がテーマである仮面ライダー555では、夢に邁進する友人たちを脇に配し
自分では夢を持たない主人公が「でも夢をまもることはできる」という所に
社会集団に於ける自分の立ち位置を見い出す。
この屈託ぶりは、ちょうどクウガの主人公五代雄介の屈託のなさの正反対の関係にある。
個人的な感想を述べさせていただければ、五代の主人公像が好きになれなかった筆者は
このアギトで発揮された「屈託ある主人公(たち)」がしっくり来た。
氷川誠の台詞。「生きることを素晴らしいと思いたい!」
「素晴らしい!」と言い切るのでもなく
「素晴らしいと思う!」と表明するのでもなく
「と思いたい!」と、段々自己の内面に退却していくこの言葉が
氷川誠の痛切を表現し得ている。
井上敏樹の脚本に通底するのは、ここにも見られる「屈託」。
「夢」がテーマである仮面ライダー555では、夢に邁進する友人たちを脇に配し
自分では夢を持たない主人公が「でも夢をまもることはできる」という所に
社会集団に於ける自分の立ち位置を見い出す。
この屈託ぶりは、ちょうどクウガの主人公五代雄介の屈託のなさの正反対の関係にある。
個人的な感想を述べさせていただければ、五代の主人公像が好きになれなかった筆者は
このアギトで発揮された「屈託ある主人公(たち)」がしっくり来た。
PR
かぐや姫の手法で、宮﨑駿のイメージボードの水彩画タッチを生かしたアニメーションを作る、なんてことがジブリ美術館用の短編でなら実現できそうでは。
非常に面白かったです。主役不在の中でメインストーリーを下支えするサブエピソードは、スケバン刑事Ⅲで浅香唯が劇場版へ出張中の結花・由真のよう。それでいてティガ、初代マン、ゼットンも登場する大盤振る舞い。
街の上空(あるいは月)でゼットンを食い止める展開。ミニチュア破壊特撮が難しいという台所事情を逆手に取ったかのような都市の水際防衛という筋が、仲間が帰る場所を守るというストーリーとして結実していることの、ノンフィクション的面白さ。
たぶん他の怪獣だといかにもサブエピ然としてしまう所でゼットンという「終末」「絶体絶命」を連想させるキャラクター起用がこの展開に対して意味を持っている。これに初代マンで立ち向かうという筋が、ウルトライブという「なりきり」で表現されることでウルトラマンのあの最終回を知っている視聴者は「再現」というよりは「想起」という形でその姿を見ることになる。初代マンにウルトライブした千草の危うさと。視聴者の原体験が重なる面白さ。ウルトライブという設定の真骨頂。
そしてそのピンチをギンガが助けにくるというこのゾフィー的既視感。生ギンガと言うか素のギンガと言うかオリジンギンガと言うかヒカルがウルトライブした状態じゃないやつが(最終回以来)初めて単独で行動するという、サブエピなのに重要要素も含まれてたり。
宇宙人がまんま外を歩いているという日常風景に違和を放り込むウルトラゾーン感。あの番組は明らかにウルトラの新しい道筋を示す実験なのだったと再確認。とりもなおさず「ウルトラ的」。イベントでおなじみの外島グマ星人が登場という重要要素も含まれてたり。
つらつらと思うのは、都市破壊特撮を毎週テレビでやるというのは良くも悪くも高度経済成長期だから受容できただけで、911や311などを経た今では経済的事情も含めて時代の要請として無理がきているのは確かだということ。
街の上空(あるいは月)でゼットンを食い止める展開。ミニチュア破壊特撮が難しいという台所事情を逆手に取ったかのような都市の水際防衛という筋が、仲間が帰る場所を守るというストーリーとして結実していることの、ノンフィクション的面白さ。
たぶん他の怪獣だといかにもサブエピ然としてしまう所でゼットンという「終末」「絶体絶命」を連想させるキャラクター起用がこの展開に対して意味を持っている。これに初代マンで立ち向かうという筋が、ウルトライブという「なりきり」で表現されることでウルトラマンのあの最終回を知っている視聴者は「再現」というよりは「想起」という形でその姿を見ることになる。初代マンにウルトライブした千草の危うさと。視聴者の原体験が重なる面白さ。ウルトライブという設定の真骨頂。
そしてそのピンチをギンガが助けにくるというこのゾフィー的既視感。生ギンガと言うか素のギンガと言うかオリジンギンガと言うかヒカルがウルトライブした状態じゃないやつが(最終回以来)初めて単独で行動するという、サブエピなのに重要要素も含まれてたり。
宇宙人がまんま外を歩いているという日常風景に違和を放り込むウルトラゾーン感。あの番組は明らかにウルトラの新しい道筋を示す実験なのだったと再確認。とりもなおさず「ウルトラ的」。イベントでおなじみの外島グマ星人が登場という重要要素も含まれてたり。
つらつらと思うのは、都市破壊特撮を毎週テレビでやるというのは良くも悪くも高度経済成長期だから受容できただけで、911や311などを経た今では経済的事情も含めて時代の要請として無理がきているのは確かだということ。
星一徹はもちろんのこと、個人的にはウルトラマンに登場したメフィラス星人の声が好きでした。
地球を侵略するために、暴力を使わず、子供の心に語るというキャラクター造形は
後のウルトラセブンに引き継がれる、知的侵略宇宙人の原体験だったと思います。
一応、ウルトラマンとの格闘シーンはあるのですが、
戦いをやめてそのまま帰っちゃうんですね。
その時のセリフ「よそう…」は、加藤精三さんのあの低音だからこそ表現し得た
狡猾さが体現されていたと思います。
以後の作品でも、メフィラス星人を加藤精三さんがアテてるのは嬉しかったですね。
近年は他の方になってしまっていて残念でありました。
ご冥福をお祈りします。
地球を侵略するために、暴力を使わず、子供の心に語るというキャラクター造形は
後のウルトラセブンに引き継がれる、知的侵略宇宙人の原体験だったと思います。
一応、ウルトラマンとの格闘シーンはあるのですが、
戦いをやめてそのまま帰っちゃうんですね。
その時のセリフ「よそう…」は、加藤精三さんのあの低音だからこそ表現し得た
狡猾さが体現されていたと思います。
以後の作品でも、メフィラス星人を加藤精三さんがアテてるのは嬉しかったですね。
近年は他の方になってしまっていて残念でありました。
ご冥福をお祈りします。
伊集院光 週末TSUTAYAへ行ってこれ借りよ(TBSラジオ毎週金曜日 たまむすび内コーナー)
で紹介された映画「喜びも悲しみも幾歳月」を観賞。
監督/木下恵介
●あらすじ
日本各地の灯台を灯台守りとして転勤しながら、子供を育て戦前、戦中、戦後を生きた夫婦の物語。
●佐田啓二
主演の佐田啓二は中江貴一のお父さん。カッケー。
●灯台守りというモチーフ
夫婦として長い年月を共にすごし、戦争の推移を見つめ続けるという人生のメタファーとして、船の安全を見守り、それを照らす灯りを絶やさないようにするという、灯台守りという仕事がモチーフとして選ばれていることも面白さ。
灯台守りに「転勤」があるというのは、この映画を観るまで知らなかったが、数十年のスパンを二時間半の映画の中で描く上で、各地を転々とする描写(日本地図を俯瞰するカメラが各ポインとを写す)が場面転換と時間経過の両方を兼ね、移動する苦労と年月の重さを感じさせる演出になっている。
●白髪
伊集院光の番組の中でこの映画を推薦した石井ふく子が、おすすめポイントとした一つが、妻役・高峰秀子が夫役・佐田啓二に対していう「白髪」という台詞。
実際には「こんな長いのが…」という言葉と共に、夫の白髪を抜いて見せるというシーン。
話し合いをしている最中に、白髪を見つけることで、二人の気持ちが一つになる。
共に長い歳月を生きて、更に今後も暮らしていくだろうという共通理解の象徴として登場する。夫婦が一気に打ち解ける様子に、言葉を越えた事実性の重さを感じる名シーン。
で紹介された映画「喜びも悲しみも幾歳月」を観賞。
監督/木下恵介
●あらすじ
日本各地の灯台を灯台守りとして転勤しながら、子供を育て戦前、戦中、戦後を生きた夫婦の物語。
●佐田啓二
主演の佐田啓二は中江貴一のお父さん。カッケー。
●灯台守りというモチーフ
夫婦として長い年月を共にすごし、戦争の推移を見つめ続けるという人生のメタファーとして、船の安全を見守り、それを照らす灯りを絶やさないようにするという、灯台守りという仕事がモチーフとして選ばれていることも面白さ。
灯台守りに「転勤」があるというのは、この映画を観るまで知らなかったが、数十年のスパンを二時間半の映画の中で描く上で、各地を転々とする描写(日本地図を俯瞰するカメラが各ポインとを写す)が場面転換と時間経過の両方を兼ね、移動する苦労と年月の重さを感じさせる演出になっている。
●白髪
伊集院光の番組の中でこの映画を推薦した石井ふく子が、おすすめポイントとした一つが、妻役・高峰秀子が夫役・佐田啓二に対していう「白髪」という台詞。
実際には「こんな長いのが…」という言葉と共に、夫の白髪を抜いて見せるというシーン。
話し合いをしている最中に、白髪を見つけることで、二人の気持ちが一つになる。
共に長い歳月を生きて、更に今後も暮らしていくだろうという共通理解の象徴として登場する。夫婦が一気に打ち解ける様子に、言葉を越えた事実性の重さを感じる名シーン。