特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています
大泉パラダイスのブログです。
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18歳以上へと選挙権年齢が引き下げられたのは
今後予想される憲法改正についての国民投票で
有権者の母数を増やすことに目的があるらしい。
これは、権利の拡大あるいは付与なのではなく、
一種の動員なのだということは、気を付けなければいけないことだろう。
若者の政治意識やらなんちゃらとは一切関係ない目的で法律が作られたのは
参議院選挙が公示され、若者の投票を呼びかけるプロモーションビデオか何かが作られ
テレビで何本かを断片的に見たが、
政治がどうこうとは関係なく、とにかく投票に行け、と何やら楽しげに呼びかけているものばかりで
そもそもの発想が〝動員〟でしかないことが端なくも明らかになった体で
さらに、学校の先生が教室で生徒に投票の意義を教える授業か何かが放送されていて
その先生が「自分たちの要求を叶えてくれそうな人を選ぼう」みたいことを言っていて、
また他の番組では、投票年齢の若者へのインタビューで
とある業種で働く若者が「○○業(彼が従事する業種)のことを考えてくれる政治家」と
もう、自分の利益代表を選ぶ気満々で、どこの田舎選挙かと
この国が犯した間違いが、なんの反省もなく受け継がれようとしているのは間違いないと確信した。
「公平な目で人を選ぶ」といったことに彼らが動機付けられる可能性を高く見積もる訳にはいかないだろう。
ツイッターなど、もはや中身の良し悪しに関係なく多数派工作に
多くのひとびとが邁進している昨今、
そのうち若者たちによって、彼らの一部の利益を代表するような候補者が推され、
ツイッターなどを通じた投票への呼びかけが行われ、
わけのわからなん政治家が出てくるのは時間の問題だろう。
事実、ニュース番組で何人かの候補者の街宣を見たが、
比較的年齢の若い立候補者の話しっぷりの「心のない感じ」はあくまでも主観的な印象に過ぎないが
強く感じた。
今回の選挙年齢の引き下げをポジティブに捉えている人は
よく考え直した方が良いだろう。
今後予想される憲法改正についての国民投票で
有権者の母数を増やすことに目的があるらしい。
これは、権利の拡大あるいは付与なのではなく、
一種の動員なのだということは、気を付けなければいけないことだろう。
若者の政治意識やらなんちゃらとは一切関係ない目的で法律が作られたのは
参議院選挙が公示され、若者の投票を呼びかけるプロモーションビデオか何かが作られ
テレビで何本かを断片的に見たが、
政治がどうこうとは関係なく、とにかく投票に行け、と何やら楽しげに呼びかけているものばかりで
そもそもの発想が〝動員〟でしかないことが端なくも明らかになった体で
さらに、学校の先生が教室で生徒に投票の意義を教える授業か何かが放送されていて
その先生が「自分たちの要求を叶えてくれそうな人を選ぼう」みたいことを言っていて、
また他の番組では、投票年齢の若者へのインタビューで
とある業種で働く若者が「○○業(彼が従事する業種)のことを考えてくれる政治家」と
もう、自分の利益代表を選ぶ気満々で、どこの田舎選挙かと
この国が犯した間違いが、なんの反省もなく受け継がれようとしているのは間違いないと確信した。
「公平な目で人を選ぶ」といったことに彼らが動機付けられる可能性を高く見積もる訳にはいかないだろう。
ツイッターなど、もはや中身の良し悪しに関係なく多数派工作に
多くのひとびとが邁進している昨今、
そのうち若者たちによって、彼らの一部の利益を代表するような候補者が推され、
ツイッターなどを通じた投票への呼びかけが行われ、
わけのわからなん政治家が出てくるのは時間の問題だろう。
事実、ニュース番組で何人かの候補者の街宣を見たが、
比較的年齢の若い立候補者の話しっぷりの「心のない感じ」はあくまでも主観的な印象に過ぎないが
強く感じた。
今回の選挙年齢の引き下げをポジティブに捉えている人は
よく考え直した方が良いだろう。
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5時に夢中のアシスタントが変わって二ヶ月。
変わった当初はなんでこんなのに、と思ったが
時間が経ってみると、上田まりえも結構いいじゃないかと思っている自分がいる。
そして、ここまで書きながら
あんなに好きだった、前アシスタント「○○聡子」の苗字が思い出せなくなっていることに気付いて、
ああ、これが時間の流れというものか…と
単純に記憶力の悪さなのかと、
これが「今を生きる」ということなのかと、
人間存在の身も蓋も無さを思う。
変わった当初はなんでこんなのに、と思ったが
時間が経ってみると、上田まりえも結構いいじゃないかと思っている自分がいる。
そして、ここまで書きながら
あんなに好きだった、前アシスタント「○○聡子」の苗字が思い出せなくなっていることに気付いて、
ああ、これが時間の流れというものか…と
単純に記憶力の悪さなのかと、
これが「今を生きる」ということなのかと、
人間存在の身も蓋も無さを思う。
AKBの総選挙をテレビ中継で見る。
前は投票したこともあったが、もはやそこまでの熱量はなく。
指原の二連覇というのも、予想の範囲内。
翌々日、秋葉原のAKBカフェの前には
選挙ポスターの一覧に花がつけてあり、
ざっと見て目についたのが、フレッシュレモンこと市川美織に花がついてなかったこと。
ああ、圏外だったのかと。
とりわけ贔屓にしているということでもないが、
ブレイクに至らないのは何故かというのは考えるに価する問題だと思う。
結論から言えば、キャラは強いのだがトークが弱い。
人柄がよさそうなだけに押しが弱い。
そんな辺りがバラエティで重宝されきらない原因だろうと思う。
うまいことキャラクターが活かせる場を与えてあげられないものかと思って
ふと気付いたのが、顔の雰囲気が「きれいなおねえさんは好きですか」で売れた
女優の、あ、名前忘れた、政治家の奧さんになった人、あの人に似てるので
長期戦でいくしかないと思う。本当に魅力が発揮され、認知されるのは
長く続ける中でのくじけなさ、ではないかと思う。
あ、水野真紀だ、思い出した。
政治家の奧さんになっても、女優をつづけ、ラジオでも毒舌。
先日は5時夢に出たりもした。
政治家の奧さんになったとしても「収まった感」を出したくない、というパーソナリティは
意地とかもあるかも知れないが、基本、内発性で生きている人だからだろうと思う。
そういう意味では、「フレッシュレモン」は言い続けて、
そのうち、政党でも立ち上げて(あ、いい加減な言説になりかけてる)
「フレッシュレモンになりたい党~~」とか叫んだりすると、「完成」かも知れない。
前は投票したこともあったが、もはやそこまでの熱量はなく。
指原の二連覇というのも、予想の範囲内。
翌々日、秋葉原のAKBカフェの前には
選挙ポスターの一覧に花がつけてあり、
ざっと見て目についたのが、フレッシュレモンこと市川美織に花がついてなかったこと。
ああ、圏外だったのかと。
とりわけ贔屓にしているということでもないが、
ブレイクに至らないのは何故かというのは考えるに価する問題だと思う。
結論から言えば、キャラは強いのだがトークが弱い。
人柄がよさそうなだけに押しが弱い。
そんな辺りがバラエティで重宝されきらない原因だろうと思う。
うまいことキャラクターが活かせる場を与えてあげられないものかと思って
ふと気付いたのが、顔の雰囲気が「きれいなおねえさんは好きですか」で売れた
女優の、あ、名前忘れた、政治家の奧さんになった人、あの人に似てるので
長期戦でいくしかないと思う。本当に魅力が発揮され、認知されるのは
長く続ける中でのくじけなさ、ではないかと思う。
あ、水野真紀だ、思い出した。
政治家の奧さんになっても、女優をつづけ、ラジオでも毒舌。
先日は5時夢に出たりもした。
政治家の奧さんになったとしても「収まった感」を出したくない、というパーソナリティは
意地とかもあるかも知れないが、基本、内発性で生きている人だからだろうと思う。
そういう意味では、「フレッシュレモン」は言い続けて、
そのうち、政党でも立ち上げて(あ、いい加減な言説になりかけてる)
「フレッシュレモンになりたい党~~」とか叫んだりすると、「完成」かも知れない。
昨今のスポーツが、電通などの広告代理店の影響などもあって
一定の時間内に収まるようなイベントになりつつあり、という話の中のたとえで
宮台真司から「3分間の中で最後にスペシウム光線やアイスラッガーを使うのはプロレス的」
という例えが出た。
神保哲生からはもはや本筋ではない話として「手から光線が出るのにチョップを使うのはおかしい」「手は火傷しないのか」
などの、いわゆる昔風の「ツッコミ」的な意見もあったり。
そんな流れで、精神科医の斎藤環の回を見たら、
十年前にオタクについての回があるというのでそちらを先に見た。
ガンダムの劇場版が上映されていた時に、セイラさんの入浴シーンで一斉にフラッシュが焚かれ
そこから、アニメでエロものがいけるのではないかと発想されて「くりいむレモン」に繋がった、
という話は知らなかったが、まあ、セイラさんに限らず当然出た発想だろう。
そこには一つの「発見」があったと思う。
昨今のアニメ環境の中で、個人的に誰かに説明を求めたいと思っているのが
ヤマト、ガンダムのアニメブームの渦中にいた世代が
いまだに、女の子のキャラがメインキャラのほとんどを占めるような作品を
見ていたられるメンタリティについてである。
個人的には今のアニメはほとんど見ない、というと誤解されたのだが
さぼってて見ないのではなく、正直「見てられない」という気持ち。
この辺、慎重に書きたいので、また別項に。
話を飛ばすと
前のブログ(ウルトラマンと立派な人の関係)で、さわりだけ書いたが、
女の子キャラだけの友情やら何やらに思い入れできる、というメンタリティは
若い人、つまりアニメブームの熱狂を知らない世代に人はいいとして
あれを知っている人が、今なお思い入れできる、というのは
同じ夢にいつまでも耽溺できる、ということなのかと、だんだん分かってきた。
おそらく、我々が若い時にアニメに「燃えた」のは、そこに「発見」があったからである。
大海原の中から得た海産物の中に、ある旨味を発見して、
それを「だし」という名前をつけて味わったりすることが出来た。
やがて、その成分研究が進んでグルタミン酸と名付けられ、
それをふりかければ同じ旨味が再現できる「味の素」が発売され、
みな、それを使うようになった。今が、この
「味の素」さえあれば「あの」旨さをいつでも堪能できる、という時代である。
アニメという名前すら社会的に認知されていなかった時代には
「これ」はいいいものだ、この味は自分には間違いなく旨いと感じる、
周囲の無理解などお構いなしに、いや理解されていないからこそこの「旨さ」には
「この旨さを感じること」には価値がある、そう確信できた、
それはまさに「旨さの発見」であった。
それが世代間に伝達されていく中で、グルタミン酸ならぬ「萌え」と名付けられたりしたのは
そうした「旨さ」の中の、目立つある部分でしかない。
味の素の形にまでなってしまったものは「これ」ではなく「それ」となり、
みんなが「それそれ」と言い合えるものとなったが
「これ」が持っていた輝き(哲学者のベンヤミンの言葉でアウラというのは宮台真司がよく用いる)がもはやないのだが、
しかし「ない」と言いきって言いのかどうかに迷いが生じるのは
「味の素」自体の旨さに対して、精製や精練における練度や精度みたいなことが生じるだろう、
とは思うからだ。
ただ、個人的には体験や経験は確かに豊かだったし、その豊かさ故にアニメ以外に対しての
ものの見方や感じ方の豊富さがあると思うので
味の素の商品スペックには正直興味が薄い(まあ見れば「なるほど」とは思う)。
同じ世代でも、今だに味の素を舐め続けているのが、なぜなのか、というのは
今度、勇気を出して人に聞いてみたいと思っている。
ただ、それも慎重にならなければいけないと思うのは
同世代であっても、文化的な遅延があって(地方に住んでいるなど)
やや、渦の中心から離れた所で眺めていた、という人には
やはり、当時にあっても、大海原から旨味を発見した悦びには与っていなかった可能性もある。
一定の時間内に収まるようなイベントになりつつあり、という話の中のたとえで
宮台真司から「3分間の中で最後にスペシウム光線やアイスラッガーを使うのはプロレス的」
という例えが出た。
神保哲生からはもはや本筋ではない話として「手から光線が出るのにチョップを使うのはおかしい」「手は火傷しないのか」
などの、いわゆる昔風の「ツッコミ」的な意見もあったり。
そんな流れで、精神科医の斎藤環の回を見たら、
十年前にオタクについての回があるというのでそちらを先に見た。
ガンダムの劇場版が上映されていた時に、セイラさんの入浴シーンで一斉にフラッシュが焚かれ
そこから、アニメでエロものがいけるのではないかと発想されて「くりいむレモン」に繋がった、
という話は知らなかったが、まあ、セイラさんに限らず当然出た発想だろう。
そこには一つの「発見」があったと思う。
昨今のアニメ環境の中で、個人的に誰かに説明を求めたいと思っているのが
ヤマト、ガンダムのアニメブームの渦中にいた世代が
いまだに、女の子のキャラがメインキャラのほとんどを占めるような作品を
見ていたられるメンタリティについてである。
個人的には今のアニメはほとんど見ない、というと誤解されたのだが
さぼってて見ないのではなく、正直「見てられない」という気持ち。
この辺、慎重に書きたいので、また別項に。
話を飛ばすと
前のブログ(ウルトラマンと立派な人の関係)で、さわりだけ書いたが、
女の子キャラだけの友情やら何やらに思い入れできる、というメンタリティは
若い人、つまりアニメブームの熱狂を知らない世代に人はいいとして
あれを知っている人が、今なお思い入れできる、というのは
同じ夢にいつまでも耽溺できる、ということなのかと、だんだん分かってきた。
おそらく、我々が若い時にアニメに「燃えた」のは、そこに「発見」があったからである。
大海原の中から得た海産物の中に、ある旨味を発見して、
それを「だし」という名前をつけて味わったりすることが出来た。
やがて、その成分研究が進んでグルタミン酸と名付けられ、
それをふりかければ同じ旨味が再現できる「味の素」が発売され、
みな、それを使うようになった。今が、この
「味の素」さえあれば「あの」旨さをいつでも堪能できる、という時代である。
アニメという名前すら社会的に認知されていなかった時代には
「これ」はいいいものだ、この味は自分には間違いなく旨いと感じる、
周囲の無理解などお構いなしに、いや理解されていないからこそこの「旨さ」には
「この旨さを感じること」には価値がある、そう確信できた、
それはまさに「旨さの発見」であった。
それが世代間に伝達されていく中で、グルタミン酸ならぬ「萌え」と名付けられたりしたのは
そうした「旨さ」の中の、目立つある部分でしかない。
味の素の形にまでなってしまったものは「これ」ではなく「それ」となり、
みんなが「それそれ」と言い合えるものとなったが
「これ」が持っていた輝き(哲学者のベンヤミンの言葉でアウラというのは宮台真司がよく用いる)がもはやないのだが、
しかし「ない」と言いきって言いのかどうかに迷いが生じるのは
「味の素」自体の旨さに対して、精製や精練における練度や精度みたいなことが生じるだろう、
とは思うからだ。
ただ、個人的には体験や経験は確かに豊かだったし、その豊かさ故にアニメ以外に対しての
ものの見方や感じ方の豊富さがあると思うので
味の素の商品スペックには正直興味が薄い(まあ見れば「なるほど」とは思う)。
同じ世代でも、今だに味の素を舐め続けているのが、なぜなのか、というのは
今度、勇気を出して人に聞いてみたいと思っている。
ただ、それも慎重にならなければいけないと思うのは
同世代であっても、文化的な遅延があって(地方に住んでいるなど)
やや、渦の中心から離れた所で眺めていた、という人には
やはり、当時にあっても、大海原から旨味を発見した悦びには与っていなかった可能性もある。
ほとんど見ないのだが、たまたまNHKEテレのクラシック音楽の番組を見ていたら
曲が演奏されている画面の下に
ネットの動画に出てくるのと同じような、尺や再生位置を表すスライダーが出ていた。
あとどれくらいでこの曲が終わるかおおよそ分かる。
いつ頃からなんだろう、こういうのが出るようになったの。
時代やね。
曲が演奏されている画面の下に
ネットの動画に出てくるのと同じような、尺や再生位置を表すスライダーが出ていた。
あとどれくらいでこの曲が終わるかおおよそ分かる。
いつ頃からなんだろう、こういうのが出るようになったの。
時代やね。