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大泉パラダイスのブログです。
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映画「仮面ライダー1号」の公開を控え、
プロデューサー、脚本家によるトーク番組がネットで行われた。
筆者は見ていないが、
これの司会を務めた評論家の宇野常寛がツイッター上でファンの言動への苦言を呈している。
その発言も具体的に見ていない。
詳しいことは、宇野自身の当該ツイートを見ていただくこととして、
一般論として考えるのは、
ノイズに対する耐性が全般的に低くなっている傾向があると思われることだ。
昔はラジオはおろか、テレビを見るのでも雑音や電波障害は当たり前の頃に子供時代を過ごしている。
よく「今の子は我慢をしらない」などと言われるが、
昔は親がしつけをしようがしまいが、
そもそもがノイズだらけで、自然とそれに耐えなければいけない社会状況だったのだろう。
やがて、イヤホンなどにノイズキャンセラーなどがついたり、
デジタル化が進んでノイズとは無縁になりつつある。
しかし、本来、人間同士が一緒に社会を営むことによるノイズの発生は
おそらく原理的に避けられないと思われ、であるならば
ノイズに対する耐性はいつの時代も「人間にとって」必要だろう。
「学級崩壊」という言葉がマスコミで聞かれるようになって久しいが
詳しいこと(それが個人の気質に起因するのか社会的な原因があるのか)は分からないが
「人の話を聞く」ということすら、危うくなっているメンタリティなり風潮なりが
あるらしいのは想像に難くない。
「仮面ライダー」の話題なので、話をそこに戻すと
仮面ライダーは改造人間、人体に機械を埋め込まれたキャラクターであるのだが、
特筆すべきは、これが「悲しみ」として捉えられていることだろう。
昨今、デジタル化の進展は人体に機械が埋め込まれていないまでも、
携帯端末などの普及が、一種の「改造人間」を生み出していると言えないだろうか。
人間の思考などが機械にアウトソーシングされつつあることは間違いない。
そのことは、ノイズ耐性の低減と無関係ではないだろう。
もしかすると、メンタリティの面で「ノイズキャンリング機能付き人間」は
すでにいるだろう。
そこには一種の「快適さ」を求めたが故の帰結がありそうだ。
「改造人間」になっていくことを「悲しみ」として捉えるのか否か。
「仮面ライダー」が、時代の変化の中でどう立ち現れるかは
そうした点に重大な問題を投げかけるのではないだろうか。
今度の「仮面ライダー1号」が、「改造人間にされた悲しみ」を謳う作品かどうかは、
注目して良い点かも知れない。
プロデューサー、脚本家によるトーク番組がネットで行われた。
筆者は見ていないが、
これの司会を務めた評論家の宇野常寛がツイッター上でファンの言動への苦言を呈している。
その発言も具体的に見ていない。
詳しいことは、宇野自身の当該ツイートを見ていただくこととして、
一般論として考えるのは、
ノイズに対する耐性が全般的に低くなっている傾向があると思われることだ。
昔はラジオはおろか、テレビを見るのでも雑音や電波障害は当たり前の頃に子供時代を過ごしている。
よく「今の子は我慢をしらない」などと言われるが、
昔は親がしつけをしようがしまいが、
そもそもがノイズだらけで、自然とそれに耐えなければいけない社会状況だったのだろう。
やがて、イヤホンなどにノイズキャンセラーなどがついたり、
デジタル化が進んでノイズとは無縁になりつつある。
しかし、本来、人間同士が一緒に社会を営むことによるノイズの発生は
おそらく原理的に避けられないと思われ、であるならば
ノイズに対する耐性はいつの時代も「人間にとって」必要だろう。
「学級崩壊」という言葉がマスコミで聞かれるようになって久しいが
詳しいこと(それが個人の気質に起因するのか社会的な原因があるのか)は分からないが
「人の話を聞く」ということすら、危うくなっているメンタリティなり風潮なりが
あるらしいのは想像に難くない。
「仮面ライダー」の話題なので、話をそこに戻すと
仮面ライダーは改造人間、人体に機械を埋め込まれたキャラクターであるのだが、
特筆すべきは、これが「悲しみ」として捉えられていることだろう。
昨今、デジタル化の進展は人体に機械が埋め込まれていないまでも、
携帯端末などの普及が、一種の「改造人間」を生み出していると言えないだろうか。
人間の思考などが機械にアウトソーシングされつつあることは間違いない。
そのことは、ノイズ耐性の低減と無関係ではないだろう。
もしかすると、メンタリティの面で「ノイズキャンリング機能付き人間」は
すでにいるだろう。
そこには一種の「快適さ」を求めたが故の帰結がありそうだ。
「改造人間」になっていくことを「悲しみ」として捉えるのか否か。
「仮面ライダー」が、時代の変化の中でどう立ち現れるかは
そうした点に重大な問題を投げかけるのではないだろうか。
今度の「仮面ライダー1号」が、「改造人間にされた悲しみ」を謳う作品かどうかは、
注目して良い点かも知れない。
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