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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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「侍として生きるということ」というのは予告ナレーションの最初のフレーズ。もしかしてシナリオタイトルの仮題がこれなのでは?というくらいに、第一幕。第二幕の主題そのもの。第一幕では家臣や忠義などといった生まれ付きの条件ではなく、個人の主体性で選択することを「覚悟」と表現。普通のヒーローがこの単語を使う場合、倒す相手に対して「覚悟しろ」みたいに使うものですが、ヒーロー自身がヒーローとして生きる心構えがシンケンジャーに於ける「覚悟」。志葉丈瑠の家臣とか忠義とかいったものへの抵抗感(とか言いながら黒子の出すお茶を当たり前のように飲んだりするのは、そういう文化に浸って生きてきた証拠であるという二重性の面白さ)故に侍達に召集をかけることを躊躇していた訳ですが、彼らの「覚悟」のほどを一応見届けてショドウフォンを渡した第一幕。これを少なくとも三十回は観た後迎えた第二幕。予告で既に微妙に感動し実際に観て本当に感動しちゃったらどうしようと思っていたのですが、オープニングのあまりのかっこよさに痺れつつ、本編で三回泣いてしまったのでもうどうもこうも。ごめんなさい。一生懸命がんばります(なにをだ)。このスタッフの志しの高さは並じゃ無い。小林靖子もそれなりの「覚悟」をして書いているのが解る。何度も観るのは逆に勿体無い気がして、また第一幕を何度も観る生活に逆戻り。あ、シンケンオー買ってしまいました。何十年ぶりだろう戦隊ロボのおもちゃ買うの。もしかしたら初めてかも。そうそう近所のおもちゃ屋でソフビが売れまくってる様子で、棚から根こそぎなくなってるんですが、お子様たちも四六時夢中なのでは。私も精神年齢の低さでは負けてないからな。ショドウフォンで一筆奏上するぜ。はっ(ことは風)。●侍合体の前に御殿合体(おでんがったい?)をしてしまって流ノ介は我が身を恥じていましたが、ちょっと気にいっていた様子のことはが流ノ介の失敗を救っていて、とっても優しい空気を感じます。そこを引き締める殿はさすが殿。●毎年、セイカの「らくがきんちょ」のCMを楽しみにしています。今年は殿が「らくがきんちょ」というお言葉をおっしゃるのでしょうか!わくわく。視聴者のこどもを「おまえ達」よばわりしながら「お前達!覚悟してらくがきんちょしろ」とか言ってくれるのか、流ノ介が口上を述べながら「みんなでらくがきんちょで殿の似顔絵をかこう!」とか言った所で「長い」と殿が止めたりとかして。CMではパンのCMも。去年はゴーオンジャー、パン!」というシャウトがすてきでしたが今年は?●DXシンケンオーの両腕になる亀折神と猿折神をエンブレムモードのまま獅子折神に合体させると、帰ってきたウルトラマンのマットジャイロみたいに見えますのでおもちゃを持っている方はお試しを!ウルトラマンガイアのシーガルフローターにも似てます。
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戦隊シリーズはゴレンジャーからリアルタイムで観ていますが(途中ちょっとブランク有り)、大人になってからジェットマン、ギンガマン、タイムレンジャーなどにハマり、そして二〇〇九年「侍戦隊シンケンジャー」。二月十五日放送の第一幕をオンタイムで観てから一週間、あまりにも素晴らしいのでこれだけを観て過ごしたと行っても過言ではなく。待ってるとこういう作品が出て来たりするんですねえ。メンバーが集まってくる、というプロットは戦隊の基本、ゴレンジャーやジェットマンがそうでした。その過程で各人のキャラクターも的確に描写、あまりに見事。相葉っちが芸達者なのは知ってますが、彼も含めてポテンシャルを引き出す中澤演出。いかにも演技が出来ない主役を馬の上で台詞を言わせ他の役者も全員同じフレームに入れて、しかも次のカットへのつなぎの演技までさせるのは、拷問と言うか特訓と言うかプレッシャーかけてモノにしなければという「覚悟」の1カット長回し(風吹いて寒そうだし)。素晴らしすぎ。変身バンクも静的なアングルの中にアニメ的なセンスも織り込まれBGMや効果音の絡み合いで比類なきまでに濃厚。最初は伊吹吾郎がアフレコがうまいのかなあと思って観てたらシンクロだと気付いた。1話だけなのか、ずっとやるのか、やるとしても今年だけなのか?「本気」とか「マジ」とか「真剣」とか吉田栄作を思い出しそうな単語が浮かぶ、このクオリティの高さ。子供番組を真剣に作るという事の価値がここに結実している事実。そしてその日のうちに買いに行きましたシンケンマル。プレミア発表会で既に見てましたがゾートロープをおもちゃにするなんて玩具史上初めてなのでは?近年稀に見る傑作アイテム。子供が自分でアニメを描いてディスクに出来るようなキットとか企画をやってあげてはいかがか。つーか私にも描かせろ。次回予告だけでちょっと感動しそうになり、本当に感動しちゃったらどうしようと思いながら第二幕の放送日を迎える。
●カゲカムロの声は飛田展男さん。たぶん関係ないと思いますが「カムロ」→「アムロ」→「カミーユ」→飛田展男てな連想をしてみたり。そのカゲカムロのデザインは「機動戦士Zガンダム」に出て来たバウンドドッグというモビルアーマーにそっくりな気が。カゲカムロが男性を襲うカットでは、アップの男性の後ろを走るななし連中の脚が駆け抜けています。こういうカットは男性とカゲカムロの刀だけ写せば最低限のカットとして成立するのですが、周囲の人の動きを入れ込むことで状況の説得力が格段に違ってきます。隅々まで配慮が行き届いているので没入して観ることができます。●志葉丈瑠役の松坂桃李さんのブログを読ませて頂きましたら、お名前は「桜梅桃李」「桃李不言下自成蹊」ということわざから母上がお付けになられたそうな、大変素晴らしいお名前ですね。他にも「桃李満門」という言葉もあり、優れた人が門下に集まることを言います。正に殿の下に集結した侍たちのことを言っているようですね。●初めて四人が集まるシーンがとても好きです。流ノ介が茉子のことを殿と勘違い。今度はことはが流ノ介を殿と人目で(服装からして無理もない)勘違い。次に「すげえな」と腕を組む偉そうな千明のことをみんなで殿と勘違い。本人が違うと言うので、次はことはが「えええ?!」とおおげさな驚きの声と共に勘違いされ、そこへいかにもといった風情の殿がおでまし。ひざまずく流ノ介の横で、ことはもはっとして体の向きを変えてます。覚悟を迫る殿に対して、家臣としての覚悟の程を述べる流ノ介。やや冷めた感じの茉子。健気なことはの後ろで茉子がちょっとだけ「あーあ」という目をしています。次の千明も謙虚とは言い難い態度。ここでも茉子の冷めた目線がいい味出してます。ことはの表情が「そんな言い方しなくても」と声に出さずに語る気持ちを流ノ介が代弁して千明を叱った瞬間、殿が事を悟った顔付きでショドウフォンをほん投げます。それぞれ虚を突かれた中でそれを受け取ると有無を言わせぬ殿の「行くぞ」の一言と共に黒子が取り囲んで変身(お着替え)の準備開始。「あー」という流ノ介たちのなすすべなしと言った声があれよあれよと言う間にかき消されて、外道衆を見下ろす五人の若き侍たちの登場です。かっこいいとはこういうことさ!書いた文字を裏返す「はっ!」と言う時のポーズもそれぞれに動きに性格の違いが出ていて面白いです。●津田寛治さんが丈瑠のお父さん役(回想シーンで登場。顔が殆ど写りませんが声の出演だけ?)。いわば「先代シンケンレッド」ということになります。他の番組ですが「ケータイ捜査官7」でも津田寛治さん、主人公にその立場を譲って死ぬ役でした。

●球遊齠齔之童  たますさびかけばのわらべ
 すきま。それはこの世とあの世の間。化け物達の入口であり出口。
 身の周りのどこにでもある「すきま」を斯様な意味を持たせる事により、我々の世界をあの世と隣り合わせにし、化け物がどこに出現してもおかしくない世界にしてしまうというお見事な設定を簡潔な文言で纏めたナレーションで物語は幕を開けるのでございます。
 隙間と書いて「すきま」。
 齔と書けば「かけば」。
 欠けている歯の事。口腔と口外の間。食べ物の入口であり出口(汚い)。つまり乳歯から永久歯に生え変わる七、八歳の子供の事。齠でも同じ意味で「齠齔(ちょうしん)」もこの年代の児童を指します。
 正にそんな年齢の前歯の欠けた男の子がボールで遊んでいる場面から物語は始まります。多分今の子供達には野球よりもサッカーの方が人気があるかも知れませんが、この子は野球のボールで遊んでいます。サッカーのボールはあまり隙間に入り込んだりしないからです。
 斯くしてかけばの子供はすきまからやって来た外道衆の最初の犠牲者になり…かけたその時、二千九年の新ヒーローが姿を見せるのです。

●外道衆    みちにはずれしものども
 殿とジイのやり取りをすきまから覗いている者有り。この番組の悪役側の幹部達の初登場場面。
 すきまの向こう、三途の川に住んでいる外道衆。
 三途の川というのは正にこの世とあの世の間にあって、これを渡って死んだ者はあの世へ行くとされる場所。そこに住んでいるという事は生きてもいないし死んでもいない、という事かも知れません。
 血祭ドウコク、骨のシタリ、薄皮太夫。血、骨、皮いずれも人体(生物)を構成する部分。人に似ているが人ではない、という暗喩でしょうか。オープニングにはもう一人幹部らしきキャラクターが写っていますが、血・骨・皮と来たら「肉」でしょうか。肉…肉…肉まん先生(なんだそれ)…千明の許へジイの矢が飛んで来る場面で「肉まん肉まん♪」と楽しそうにしてたのはこの伏線だったのでしょうか?
 薄皮太夫、血祭ドウコク、(骨の)シタリといった固有名詞が台詞の中で紹介されますが、画面に一切字幕が出ません。ゲキレンジャーでもそうでしたが中澤祥次郎殿の拘りなのでしょう。三途の川に浮かぶ舟の中の描写など、子供への配慮よりはある種の美学を貫徹しようとしているようで、BGMはあまい使わず薄皮太夫が弾く琵琶の音色だけで殆ど通しています。ドウコクをなだめる事が出来るのが薄皮太夫つまり「女」と「酒」だけだというのも、なんとも大人の世界。更に大将の御機嫌を取る事が出来るのが「人間の悲鳴」。「ナキワメーケ」は別の番組ですが人間が「慟(なげ)き」
哭(な)く」ことから「慟哭(ドウコク)」という名前なのでしょうか。シタリはどうやら外道衆の知恵袋のような存在らしいので「したり顔」からでしょうか。
児童誌では「Vシネ」として発表されていたのに急に「劇場版」ってことになった「ゴーオンジャーVSゲキレンジャー」公開初日観賞。ゲキレンジャーの世界観の比重が予想外に大きく、テレビシリーズの後日談の要素が濃い。理央・メレの扱いもさりげなく重いものがあり、ゲキレンジャーの世界観の区切りとして意味もあり、大変感動した。
09年のニューヒーローの紹介では意外にもライダーも。走輔の案内による「新しい仮面ライダー」という、この時期にしか聞けないフレーズがそれも公式の映像中で言われることもそう多くないのではないかと思われ、新鮮。
シンケンジャーは昨今の漢字ブームに乗って行くというのも面白い。番組末には「今日の漢字教室!」みたいなコーナーがありそう。ここは是非漢字能力検定と提携して「カンケンジャー」を登場させるべきだ。そして年末の「今年の世相を表す漢字」では清水寺にシンケンジャーとカンケンジャーが勢ぞろいして住職を囲む姿が見たい。当然今年の一文字は「侍」だ。
今後もこの興行形式が定着して行くならそれもまた楽しかろう。
脚本、演出、演技などとても充実している公演でした。その中でも一点だけ挙げるなら、役に徹しきったメレたんの最後の挨拶。会場の子供たちをねめ回しながら「お前たち、帰ったらうがい手洗いをするんだよ」とあの口調で言うところが、にしおかすみこのようで最高でした。
1/19(土)20(日)特別プレミア発表会へ。土曜の初回で、五人で同時に変身の掛け声を言うところで、イエローの子だけ早めに「レッツ」って言ってるので、イエローがリーダー格なのかと思ったら五人の息が合ってないだけでした。がんばりましょう。主題歌の歌手の人が「大人の方は懐かしい感じがするかも知れません」と言っていましたが、単純の音程の上がり下がりが繰り返されるサビは、ガッチャマンのようなシンプルでキャッチーなメロディ。
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