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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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2月25日(木)現在の情報であるが

TOHOシネマズ川崎のロビーにある物販コーナー

発売している前売り券の一覧が描かれているパネルでは

「仮面ライダー1号」のタイトルが

「スーパーヒーロー大戦 仮面ライダー1号」となっている。


公開が決まった段階でも、まだ「スーパーヒーロー大戦」として動いており、

しかしその後、なんらかの英断が働いて仮面ライダー単体の映画として成立することになったのではないだろうか。

以前、「仮面ライダー大戦」では

内奥としては十分仮面ライダー単独の世界で成立するのに、

例年通りの戦隊とのコラボをいきなりやめる訳にはいかなかったと、

たしか白倉伸一郎がどこかで話していた。


しかし、今回は藤岡弘、の主演ということもあり、

なんとかライダー単独の映画になるために紆余曲折あったのではないだろうか。

そんなことを窺わせるTOHOシネマズ川崎のこの記述を

公開前にできるだけ多くの人に目に留めていただきたい。

あのパネルは公開前にしか見ることは出来ないのであるからして。
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今、「トーテム」という舞台だかサーカスだかをやっている。

昔から「トーテムポール」というものは、よく知られていたと思うが

動物の顔やらが縦にならんだ棒状の造形物の名前、として認識していただけだったのではなかろうか。

「トーテム」あるいは「トーテミズム」という言葉があるのは知ったのは

個人的にはごく最近のこと。

(超かきかけ)
ウルトラマンスタンプラリーが2月26日(金)に終了。

28日(日)の時点で、赤羽駅のゾフィーのスタンプ台と

池袋のメトロン星人のスタンプ台は

(もちろんスタンプそのものは撤去されているが)

残っていた。

ちなみにゾフィーの方は、背景のパネルのみで

メトロン星人は台(ちゃぶ台と畳の絵になっている)は残っていた。

もちろんどちらも終了の旨を告知する貼り紙が貼ってある。


また29日(月)の時点で

上野駅のウルトラマンタロウのスタンプ台も残っていた。

こちらは台も残っていて、私が行った時にはご老人の荷物置き場となっていた。

また、ここの貼り紙はやや凝った内容で

「みなさんのご参加にウルトラマンたちも喜んでいると思います」(文面はうろ覚え)

といったものだった。

ちなみに、上野駅には全駅制覇の受付所があったが、

ここは跡形もなかった。


今回のスタンプラリーが始まる、少し前には

ウルトラの父のイラストで

「ふたたび地球に集まれ」(こちらの文面もうろ覚えっす)といった文が書かれた

ポスターが貼られていた。


全駅制覇のスタンプもウルトラの父と母だったのだから、

ゴール受付所の撤去跡には、ウルトラの父と母が

「わたしたちは光の国へ帰ります」とかなんとか

いうシャレたポスターを貼っておいてほしかった。

といっても「また会おう」とか「また来るぞ」とか

「またスタンプラリーで相当お金を使ってもらうぞ」とかは言ってほしくはないが。
導線道(または動線道)の開闢をここに宣言する
動物戦隊ジュウオウジャーのエンディング曲

戦隊シリーズのエンディングが、

出演者が視聴者に対し共にダンスをするよういざなうような形式になって久しいが

今年も然り。

この中で「言葉なんかいらない まねしよう」といったような一節がある。


これが、従来通りの「一緒に踊ろう」のみならず

この戦隊の「動物」モチーフと重ね合わせて見ることができるところが面白い。


「模倣」は、その昔アリストテレス辺りから「ミメーシス」という言葉で

重要とされてきた概念だそうである。

さらに遡り、

アッシリアから戦闘に於いて用いられてきた「ファランクス(集団密集戦法)」に

由来するもの、とのことで

「伝染」などとも訳される。


本来の意味は、立派な行為に心打たれ、それが伝染する・感染するということで、

誰かの真似をする、ということの前提に「立派な行為を(人を)」というものがあるはずだが、

おそらく近年この辺が変わってきている。


自分の上位の人や優れた行為を真似するのではなく、

下位の人や劣った人の行為を真似する、というケースが増えているはずである。

また、その背後には「生きにくさ」の感覚があり、

その解消として「あの人たちは、あんな風にして生きやすくしているようだ」という発見があって

そのことが伝染しており、

筆者の実体験としては、1970年代に不良文化が広まったことに端を発していると思っているが

世代を経て、ヤンキー文化やヤンキー漫画の隆盛の中で

「ダンス」の学校教育の導入にまで至ってる、と考えている。


そうした流れの中で「動物戦隊」に於ける「ダンス」と「模倣」は

日本人の文化的な流れの中で、一定の整合性をもった「結果」あるいは「帰着」として

あるのだろう。

個人的には、それらの文化とは足並みを揃えないで生きてきたが、

「楽しければいいなじゃないか、何が問題なんだ」と言う人には特に返す言葉はない。

オープニングの言葉にある通り『群』の行動形態として、まさに「自然」であるだろう。

だが、やはり「どこかに問題があるのではないか」と微かに思う人には

こうして語りかけ、その感覚を共にしたいとは思っているのである。
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