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大泉パラダイスのブログです。
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イギリスのEU離脱が、国民投票に於いて過半数を占めた。
アメリカでは、トランプ候補が支持を集めているという。
東京では、舛添要一がろくでもないことをやらかした結果辞めた。
舛添要一の不祥事が明らかになっていた頃、東京の下町でとある祭りが開催中で
テレビ局が舛添についてのインタビューを行っているのを見た。
神輿の担ぎ手たちにコメントを求めたところ、非難するかと思いきや
まあ、いいんじゃないの今日はお祭りなんだからコメントしたくない、といった印象の
対応をした人が多かった。
おそらく町内会の会長さんだかの辺りから上意下達で自民党が支持する舛添要一への投票を
呼びかけられて、一票投じたような人たちなのだろうと、直感的に感じた。
我々有権者は一票を投じた責任を直接問われることはないが、
内心の良心の呵責すらも感じないとしたら、人間として根本的に無責任な人だというほかないだろう。
公にコメントする必要は無いが、内心忸怩たるものを感じるのが真っ当な精神のありようだろう。
公共の場での振る舞いは全てそうだ。
「そんなことをして、起きた結果に責任を取れるのか?」と思う振る舞いは
少なくとも都会に住んでいると、枚挙に暇がない(ので実例の列挙はご勘弁頂こう)。
EUの離脱や、トランプの支持は、
単に現状への不満のはけ口としての一票に過ぎず、
その結果、起こると予想されることに責任を取れるような選択なのか?
おそらく、結果責任などということに思いを致さない一票なのだろう、と思うのは
それの似姿が、今の日本で18歳に引き下げられた選挙年齢に関して
当該者に対してなされたインタビューのコメントに見出すことができる。
「今の自分の思いを叶えてくれる人」といった、現状追認型、地域への利益誘導型の投票動機が
既に、平然と語られ始めているからである。
ポピュラー音楽で「夢は叶えないと夢じゃない」「自分の思いを遂げる」式の文言が増えたのは
1990年代辺りだろうか。
若い時には誰もおおよそ似たようなメンタリティで生きていることは自分にも経験があるが、
政治や選挙は公共の利益が実現されて然るべき場である。
それが、未成熟な考えで、成熟を前提とした権利の行使として発動された結果に、
果たして、ひとびとは、そしてそうした人々によって選ばれた人たちは
責任ある行動を取るだろうか?
近代とは、立派な人を目指す時代である。成熟を目指すと言い換えてもいい。
人々からそうした意識が消え、つまり立派な人を目指さない、あるいは
立派な人が尊敬されなくなってくる様相を、近代の終わり=ポストモダンである。
今は、確実にポストモダンに入っている。
しかし、近代的な意識を持ち得ないと決まったものでもない。
イギリスやアメリカが、一時の感情で物事を選択しつつあることを
我々日本人が他山の石とするのかどうか。
機動戦士ガンダムの劇場版「めぐりあい宇宙」で、
シャアはテレビで言わなかった言葉を吐いた。いや、富野由悠季がシャアに吐かせた。
「人は流れに乗ればいい」
これを安易に受け取っていいのだろうかとガンダムに馴染んだ人には考えていただきたい。
シャアは、「そういう人間は扱いやすい」から「自分の野望を遂げやすい」と言っているに過ぎないのである。
「俺に騙されろ」と、そういうことだ。
私はそう捉えた。
その続編「逆襲のシャア」で、
富野由悠季はシャアに「愚民どもに今すぐ叡智を授けてみせろ」と、また無理を言わせて
アムロに「それが出来ないから」と現実を語らせた後すぐ「光を見せなきゃならないんだろう」と
率直な理想を語らせた。
そしてシャアとアムロは死の直前で分かり合えたまま、地球を取り巻く光となって
宙を見上げる地上の人々に、家の窓を開けさせた。
富野由悠季は、少なくともアニメ版ガンダムに於いては(つまり小説版はその限りではないという意味)
ポジティブな人間観、世界観を示して一年戦争を締めくくった。
このことに学ばない訳には、少なくともガンダムを知る者は行かないだろう。
アメリカでは、トランプ候補が支持を集めているという。
東京では、舛添要一がろくでもないことをやらかした結果辞めた。
舛添要一の不祥事が明らかになっていた頃、東京の下町でとある祭りが開催中で
テレビ局が舛添についてのインタビューを行っているのを見た。
神輿の担ぎ手たちにコメントを求めたところ、非難するかと思いきや
まあ、いいんじゃないの今日はお祭りなんだからコメントしたくない、といった印象の
対応をした人が多かった。
おそらく町内会の会長さんだかの辺りから上意下達で自民党が支持する舛添要一への投票を
呼びかけられて、一票投じたような人たちなのだろうと、直感的に感じた。
我々有権者は一票を投じた責任を直接問われることはないが、
内心の良心の呵責すらも感じないとしたら、人間として根本的に無責任な人だというほかないだろう。
公にコメントする必要は無いが、内心忸怩たるものを感じるのが真っ当な精神のありようだろう。
公共の場での振る舞いは全てそうだ。
「そんなことをして、起きた結果に責任を取れるのか?」と思う振る舞いは
少なくとも都会に住んでいると、枚挙に暇がない(ので実例の列挙はご勘弁頂こう)。
EUの離脱や、トランプの支持は、
単に現状への不満のはけ口としての一票に過ぎず、
その結果、起こると予想されることに責任を取れるような選択なのか?
おそらく、結果責任などということに思いを致さない一票なのだろう、と思うのは
それの似姿が、今の日本で18歳に引き下げられた選挙年齢に関して
当該者に対してなされたインタビューのコメントに見出すことができる。
「今の自分の思いを叶えてくれる人」といった、現状追認型、地域への利益誘導型の投票動機が
既に、平然と語られ始めているからである。
ポピュラー音楽で「夢は叶えないと夢じゃない」「自分の思いを遂げる」式の文言が増えたのは
1990年代辺りだろうか。
若い時には誰もおおよそ似たようなメンタリティで生きていることは自分にも経験があるが、
政治や選挙は公共の利益が実現されて然るべき場である。
それが、未成熟な考えで、成熟を前提とした権利の行使として発動された結果に、
果たして、ひとびとは、そしてそうした人々によって選ばれた人たちは
責任ある行動を取るだろうか?
近代とは、立派な人を目指す時代である。成熟を目指すと言い換えてもいい。
人々からそうした意識が消え、つまり立派な人を目指さない、あるいは
立派な人が尊敬されなくなってくる様相を、近代の終わり=ポストモダンである。
今は、確実にポストモダンに入っている。
しかし、近代的な意識を持ち得ないと決まったものでもない。
イギリスやアメリカが、一時の感情で物事を選択しつつあることを
我々日本人が他山の石とするのかどうか。
機動戦士ガンダムの劇場版「めぐりあい宇宙」で、
シャアはテレビで言わなかった言葉を吐いた。いや、富野由悠季がシャアに吐かせた。
「人は流れに乗ればいい」
これを安易に受け取っていいのだろうかとガンダムに馴染んだ人には考えていただきたい。
シャアは、「そういう人間は扱いやすい」から「自分の野望を遂げやすい」と言っているに過ぎないのである。
「俺に騙されろ」と、そういうことだ。
私はそう捉えた。
その続編「逆襲のシャア」で、
富野由悠季はシャアに「愚民どもに今すぐ叡智を授けてみせろ」と、また無理を言わせて
アムロに「それが出来ないから」と現実を語らせた後すぐ「光を見せなきゃならないんだろう」と
率直な理想を語らせた。
そしてシャアとアムロは死の直前で分かり合えたまま、地球を取り巻く光となって
宙を見上げる地上の人々に、家の窓を開けさせた。
富野由悠季は、少なくともアニメ版ガンダムに於いては(つまり小説版はその限りではないという意味)
ポジティブな人間観、世界観を示して一年戦争を締めくくった。
このことに学ばない訳には、少なくともガンダムを知る者は行かないだろう。
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