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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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20160329(水) ヤマトクルー会報誌面にて
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文化放送「吉田照美 飛べ! サルバドール」内のコーナー
「夕暮れの阿久悠」で
「ヤマトより愛をこめて」が紹介。
作曲の大野克夫によるデモテープが流された。
先日、3月6日(日)に行われたささきいさおのコンサート。

既に書いたが(それでも書き足りない)、別項を立てて総論めいたことを書いておく。


コンサートのフィナーレ(アンコールの直前)に歌われた

「君の青春は輝いているか」。

特撮番組「超人機メタルダー」の主題歌であるが、

作家ジェームス三木が作詞したこともあり、ささきにとって大事な持ち歌であるが、

先日のコンサートでは、二番の入りを間違えて歌い直すという局面があった。
(実は歌い直しでも軽く間違えている)

ちなみに、前年5月のコンサートでは間違えずに歌っている。

まあ、ささきいさおが歌詞なりテンポなりを間違えるのは、ファンとしては見慣れた光景である。


よく芸能評論などの文章で

「演じきった」「描ききった」「歌いきった」など「~きった」という表現が、

役者なり歌手なりを褒める言葉として使われるが、

実際にそういうことはまずない。

作品について、あるテーマをある作家が「描ききる」などと言った場合、

書き手が、何やら全体性についての知見を既に持っているかのような表現である。

作者なりを持ち上げようという善意に基づいてはいるのだろうが、

読み手として(少なくとも個人的には)真に受けない。

書き手が勝手に線を引いて、作者の能力を限定してしまうようで、ある意味失礼だ。


今回に関しても「全○曲を歌いきった」などの定型文による記事がどこかにあるのだと思うが

我々自身の目と耳で体験したものは、そんなものには収まらないのである。



こと、人間にまつわる事象について「ここで終わり」などということは

本人の死ぬか、人間そのものがいなくなるか、この世界がなくなる以外には無いはずだ。


たとえばささきいさおが重要な持ち歌を間違えることについて

「プロ歌手としてどーのこーの」などと言うとすれば、

それこそ「プロ」なるものの定義を勝手に設定して物事を限定的に見る人の物言いだろう。


所詮そんなものは肩書き、あるいは名乗るか名乗らないかの話であって、

私も彼も同じ人間であり、人間であることに於いて同じである。


ささきいさおの存在価値は、

宇宙戦艦ヤマトに始まるアニメブームにおいて中心人物として立ち現れ、

一人の人間、時には親として、発言をし、それを我々聞き見続けてきたファンがおり、

今なおその人生を生きて、我々も生きて、共に場を共有できることにある。


さまざまな歴史を背負い、そして強い個性を持った一人の人間としてのささきいさおの前では

歌の入りを間違えることなど、些細なことに過ぎない。

私個人としては、その瞬間、身を乗り出さんばかりにしてあたふたし

タイミングを伝えるように腕を伸ばしている自分の挙措が自然に出てくるばかりであり、

無事、リズムに乗ったところで安心に歌い終われば、

安心して大いに拍手をするばかりである。


ささきいさおという現実存在=実存の前では

「アニメソングの大王」という肩書きすら、陳腐だろう。


彼の存在、言動、一挙手一投足それ自体が貴重なのである。


その貴重さに、私は心打たれてきたのであり、コンサートは度にそのことを

再確認できるのである。



今回のトークの中で

息子さんの歯医者さんの受付の女の子が「行きます行きます♥」と言ってくれると嬉しい、と

語った後に、歌を間違えて恥をかいてしまうわけだから、

そのことの痛みは観客よりもご本人の方が痛切なのは言うまでもないだろう。


ミスった歌の後の言い訳も、何パターンがあり、

それぞれ名前をつけてもいいくらいパターン化しているのも、ファンの楽しみである。


それを時折ささき自身が「あたたかい拍手」「甘やかしてくれるファンの皆様」など

自嘲気味に表現してくれるが

彼が生きてきた歴史の重みと、それに立ち会えている喜びに比べたら

それこそ些末というか、自然な反応としか言いようがないのである。

それこそささきのタレント性・人間性に私自身が、励ましを得るのである。


おそらく氷川きよしを追いかけるおばちゃん達も似たような所があるのだと思う。

きよしの一挙手一投足から目が離せないように、

いさおも一瞬たりとも目が離せない。



しかしヤマトがもたらした陰と陽の両面は数十年のスパンにわたって今も続いている。


ちなみにヤマトについては

「『さらば』で終わっていれば名作として名を残せたのに」といった意見を聞くことがあるが

くだらない言説だと思っている。

人気が凋落したのは確かだが、

世間一般に浸透した「人気」なるもの、「空気」みたいなものとは

異質な存在感=オーラを放っていることが、ヤマトの存在価値である。
(以前のブログでヴァルター・ベンヤミンの『アウラ』になぞらえて書いた)


そんな中にささきも、今回壇上に上がった松本零士も宮川彬良もいる。

この三人のトークもスリリングであったが、

それはまた別項を立てることとしよう。




前回のコンサートも行ったのだが、今回も。

私にとっては、人生最大のごちそうがこの人の歌声であると確定した。

私の精神の豊かさの源泉がここにある。


堀江美都子・ミッチが、宇宙円盤大戦争のエンディングにしてグレンダイザーの挿入歌、

デュークフリードの歌を

二番を突然歌って入場するという、前回なかったサプライズ、

そして、心底、待ってましたの

ガッチャマンⅡのエンディング「明日夢見て」が歌われて

もう、夢叶った。


余韻に浸る、というよりは精神が満たされる。これは大袈裟でもなんでもないのである。



今回、ご来賓のみなさまは二階席。

ささきいさおが一人一人紹介した時、徳光さんが舞台に向かって「ズームイン」をやった。

ちなみに、前回のコンサートでは

私は松本零士のななめ後ろの席で、ちょっと表情を垣間見ることができるという

なんとも有難いポジションで、

アンコールラストの「マイウェイ」の時、

メガネの横から指を差し入れていらっしゃるのを目撃した。

たぶん泣いていらっしゃったのだと思う。

今回は「ゴッドシグマ」はやらなかったが、前回やっと時に

手拍子を会場全体で(ささきいさおのレクチャーにより)やった時に、

松本零士も「(シグマシーグマゴッドシグマ)パパン」とやっていらしたのを

私はしっかり目に焼き付けていることを告白しておこう。

ぶっちゃけリズム感の方は今一つであったが。




前回はよみうりホールで行われ、司会も読売新聞の鈴木美潮で

ささきいさおの生まれた頃などの新聞記事を紹介しながら二人でトークするコーナーが

あったりしたが、今回はその辺一切なく、またその辺との繋がりなのかなと思うが

自民党の山本一太議員からお花が来ていたが、今回はそれもなかった。

ちなみに前回のこのコーナーの中でさまざまな思い出話が語られた中で

ささきいさおが歌うガッチャマンの主題歌の音声が流された。




今回、第二部は宇宙戦艦ヤマトでスタート。

既存の音声ではあるが「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」からの川島和子のスキャットがかかり、

そして、上田みゆきのスターシァのナレーションでヤマトの発進が告げられる。


スターシァは元々は平井道子の役で、上田は「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」からそれを引き継ぎ

「ヤマトよ永遠に」、その後「SpaceBattleship ヤマト(実写版ヤマト)」でも上田みゆきが演じた。


ちなみに上田は特撮ドラマ「がんばれ! ロボコン」でもロボコンが居候する家の「ママ」の役を

引き継いでいるが、

やはりスターシァなども、どうしても微妙な感じがしてしまうのも事実。

上田みゆきには「さらば宇宙戦艦ヤマト」のテレサという、決定打があるのだから

次回からはこのテレサの声として登場するのはいかがだろうか。

遠い宇宙から届く途切れ途切れのメッセージから始まり、

だんだん明瞭に聞こえてきて、最後には「さらば」のラストを思わせる言葉と共に

ヤマトの「発進」を告げれば、もうファンとしては本望である。



歌手が同じ歌を歌い続ける場合、元々の歌い方と変化してくることがある。

オリジナルの歌い方に聞き慣れているファンと、

何度も歌っている歌手自身による自然な(意図的な場合もあるだろう)変化というのは

多かれ少なかれギャップを生む事例は枚挙にいとまがないはずだ。

ささきいさおは基本的に譜割り(楽譜上の音符の並びつまりメロディー)を変えないが

やはりこれは自然な変化だと思うが、近年譜割りが変化している箇所がいくつか見受けられる。

たいがいは、たとえば小節の冒頭から始まる音符を、早めに(つまり前の小節の末尾から先行して)

歌い始めるケースだ。

グレンダイザーのOPの二番

「おそれを知らぬエネルギー」の「お」は小節冒頭から入るが、

これを「ぉお」と、前小節の末尾から先行して前伸ばしするように入る。




作曲家・吉田正の遺作となったという「雪の慕情」。

前奏などの編曲に「ヤマト」、特に永遠にや完結編辺りの曲(「星のペンダント」「俺とヤマト」など)を思い出す。



前回、50周年記念曲「風の会話」(アニメ・三国志演義の主題歌)を歌ったが

今回は歌わず。

その代わりということではないが、新曲を披露。

「風の会話」は阿久悠の作詞であるが、

新曲は、アニメの作詞で既にファンも多い畑亜貴。

阿久悠の曲が消え、畑亜貴が登壇、という意味でも世代代わりを感じさせると共に

世代を越えて活動するささきの息の長さも感じさせる。

曲は黒須克彦のようで、様々なアニメでコラボレーションしているのだろうが

筆者は「宇宙戦艦ヤマト2199」の一番最初の主題歌で知った名前であり、

その時調べたが乃木坂46の「ぐるぐるカーテン」という名曲を手がけている。

今回、ささきいさおに畑と黒須が楽曲を提供するということには

「宇宙戦艦ヤマト2199」でかなわなかったささきいさおの新曲を

今ここで提供しようという隠れた意図があるのではないかと、密かに読んでいる。




ヤマトに関するトーク部分で、ただいまBSでヤマト2が放送していることに触れていた。

夜中までつい見てしまうそうで、嬉しい限りである。

そのエンディングとして使われた(さらばの時に作られた曲)「テレサよ永遠に」が歌われた。


前回も今回も、すべてコンサートが終わったところで

劇場版「銀河鉄道999」のBGMラストの曲(ゴダイゴの主題歌直前)がかかるんだけど、

これがもう涙ちょちょぎれもんの選曲&演出だと思うのだが

誰の選曲なのだろう。これはちょっと聞いてみたい。

この映画はささきいさお自身は一切からんでいないのであるが、

しかしこうして締めくくりで選ぶ素晴らしい演出について、

誰かプロのインタビュアーの人、なんとかお願いします。



前回の方ではあるが、新巨人の星のエンディングを初めて聴けた感激は忘れられない。

二番だったかの歌詞の「まっかな限り」の「まっ」の歌い方が好きで
(閉じた唇を炸裂させるように開くが、同時に息を呑み込むようなストイックさに
星飛雄馬の根性が宿る感じがする)

ステージでのささきいさおの歌い方は当時のままであった。

ちなみに「まっか」という歌詞はオープニング曲「行け行け飛雄馬」にもあり、

こちらも以下同文なかっこよさである。



「破裏拳ポリマー」は、1番を歌った後、再度サビを歌って終わるのだが
(メドレー内の1曲)
ここのサビを1番とまったく同じ歌詞で歌う、
つまり「真空はりけん~~」と歌うのだが、
これを三番の「真空片手ゴマ~~」に変えていただけないだろうか、という個人的な好みがある。
あの字余り感の「真空片手ゴマ~~」が好きなのだ。

ちなみに自分で歌う時には手の平を上に向けてコマを載せている風にして

「ゴマ~~」で手の平をゆっくり動かして遊んでいる。

ちなみに、ささきいさおが「はりけん~」と歌っていても私の手は「ゴマ~~」の動きをしている。
テレビをつけた瞬間に画面に映ったカットが

徳川機関長の後頭部なめという、映画からの流用の画だったので

一瞬、「さらば」か?と思ったが、ヤマト2だった、という日曜の朝。

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