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ロフトプラスワン
だるま二郎と宮内洋の会話の中で、二代目キレンジャーは殺さなければよかったのに、といった話があった。
そこで思い出したのだが、二代目キレンジャーが13話分という短い登場にも関わらず印象に残っている理由について。
当時は特撮、アニメなどという呼び方がないので、テレビまんがとして、つまり子供向けの番組としてリアルタイムで分け隔てなく一通り見ているわけだが
ゴレンジャー(1975年開始)とゲッターロボ(1974年開始)はほぼ同時期
ゲッターロボも集団ヒーローであり、リーダーがいてニヒルがいて、3番目は太っちょキャラというシフトもゴレンジャーと似ている。
ゲッター3となるベアー号の操縦者ムサシはクライマックス(あるいは劇場版)で戦死し、同じく太っとキャラのベンケイにメンバー交代するのであるが、二代目キレンジャー熊野大五郎の死はこれの実写版とでもいった赴きを持ったものとして記憶に刻まれている。
ゴレンジャーのエンディングの歌詞に「とっくに捨てたこの命」という一節があり、ヒーローとしての矜持を謳い、ささきいさおの生歌で聞く度に涙してしまう部分なのであるが、命をかけて地球(ゴレンジャーの場合は「世界を守れ、ゴレンジャー」by大平透)を守るといったテーゼを、実は身を以て示したのが、ムサシであり二代目キレンジャーが当時の子供にもたらしたであろう、一種の「体験」である。
メインのヒーローはそれこそ番組的な都合というべきか、おいそれと死んだりしないにも関わらず、普段は三枚目のムードメーカー、時にはおっちょこちょいぶりで足を引っ張ったりもしかねない役所の太っちょメンバーがヒーローとしての究極の姿を見せる、このことは持つ意味は別に様々な解釈が成り立つところだが、ヒーローとしてなかなか描かれない姿を体現した存在である、ということはだるま二郎のお耳に入れて差し上げたかったと思った。
畠山麦の“現実の”死を想う時、それは一層、“人間の生”として考えさせる。
ちなみに、このイベントでは麦焼酎に出演者のサインを入れたものが販売されたが、この麦焼酎、てっきり“この場”にはおられない畠山麦(先代にして後継・最終キレンジャー大岩大太)の「麦」と、当然ひっかかっているのだろうと思って、いつか説明があるのかと思っていたのだが、特にそういう話は出なかった。
意図的なシャレではないにせよ、うまいこと掛かっていることに誰も気付いていないのかもキレン、いや知れん。
ところで、〈ヒーローの死〉というモチーフは、当時リアルタイムで子供番組を視聴していた者は、その約三年後、「さらば宇宙戦艦ヤマト」で主人公の死という形で強烈に体験することになるのである。
だるま二郎と宮内洋の会話の中で、二代目キレンジャーは殺さなければよかったのに、といった話があった。
そこで思い出したのだが、二代目キレンジャーが13話分という短い登場にも関わらず印象に残っている理由について。
当時は特撮、アニメなどという呼び方がないので、テレビまんがとして、つまり子供向けの番組としてリアルタイムで分け隔てなく一通り見ているわけだが
ゴレンジャー(1975年開始)とゲッターロボ(1974年開始)はほぼ同時期
ゲッターロボも集団ヒーローであり、リーダーがいてニヒルがいて、3番目は太っちょキャラというシフトもゴレンジャーと似ている。
ゲッター3となるベアー号の操縦者ムサシはクライマックス(あるいは劇場版)で戦死し、同じく太っとキャラのベンケイにメンバー交代するのであるが、二代目キレンジャー熊野大五郎の死はこれの実写版とでもいった赴きを持ったものとして記憶に刻まれている。
ゴレンジャーのエンディングの歌詞に「とっくに捨てたこの命」という一節があり、ヒーローとしての矜持を謳い、ささきいさおの生歌で聞く度に涙してしまう部分なのであるが、命をかけて地球(ゴレンジャーの場合は「世界を守れ、ゴレンジャー」by大平透)を守るといったテーゼを、実は身を以て示したのが、ムサシであり二代目キレンジャーが当時の子供にもたらしたであろう、一種の「体験」である。
メインのヒーローはそれこそ番組的な都合というべきか、おいそれと死んだりしないにも関わらず、普段は三枚目のムードメーカー、時にはおっちょこちょいぶりで足を引っ張ったりもしかねない役所の太っちょメンバーがヒーローとしての究極の姿を見せる、このことは持つ意味は別に様々な解釈が成り立つところだが、ヒーローとしてなかなか描かれない姿を体現した存在である、ということはだるま二郎のお耳に入れて差し上げたかったと思った。
畠山麦の“現実の”死を想う時、それは一層、“人間の生”として考えさせる。
ちなみに、このイベントでは麦焼酎に出演者のサインを入れたものが販売されたが、この麦焼酎、てっきり“この場”にはおられない畠山麦(先代にして後継・最終キレンジャー大岩大太)の「麦」と、当然ひっかかっているのだろうと思って、いつか説明があるのかと思っていたのだが、特にそういう話は出なかった。
意図的なシャレではないにせよ、うまいこと掛かっていることに誰も気付いていないのかもキレン、いや知れん。
ところで、〈ヒーローの死〉というモチーフは、当時リアルタイムで子供番組を視聴していた者は、その約三年後、「さらば宇宙戦艦ヤマト」で主人公の死という形で強烈に体験することになるのである。
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