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特撮・アニメの作品レビューの同人誌を発行しています 大泉パラダイスのブログです。
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公開前から気になってたのですが、公開してどうやら不入りらしいと聞いてこれは行かねば!といざ映画館へ。
しかし公開二週目(?)というのにやってる映画館と上映回数の少なさたるや!

映画の日だというのに電車賃が高くつくような場所で観て参りました。

で…

面白いじゃないかあああ――!

と映画冒頭の妻夫木聡がアクションしながら歌い始める瞬間に思ったものの、歌の二番辺りではもう、後一歩のところで本当に面白くなるのに~勿体無い!と思って以降はほとんど「あともうちょっとで…」のシーンの連続。

公開前の宣伝で「ミュージカル」という言葉が使われていた
のを聞きましたが、真の意味でめざすべきだったのは「プロモーションビデオ」的な形だったのでは。

西城秀樹の「激しさ恋」のサビの「もしも恋がかなうならばどんなことでもするだろう」の辺りで、主人公・誠の心理をえぐって見せるかのような(注・かのような程度で十分なので)ショットでもあれば、もうそれだけでダーッと泣けたかも知れません。それが「もうちょっと」感。

歌詞の「黒い瞳」のところで、新宿の目を写すという絵解きみたいな演出に、館内では受けてたりもしてましたが、もっと高い所を狙えたのでらはないかと思うと、ちょっとげんなり。
(帰マンの丘隊員を思い出したりしたのは余計なことに気が向いてしまう映画の訴求力の弱さもあるのでしょうか)。

市村正親ら夫婦が踊る場面も、この夫婦・この家族の幸せな日常が垣間見られるようなショットがあれば、場面最後の愛(武井咲)の親にお金をねだれないという心情にも、もっと何かが宿ったはず。

まあアングルに凝るほどセットが広く作られてないのも分かりましたが。

映画ラストのカットのいくつかで「新開店990円」と書かれた看板が三回位写っていたのにも、準備にあまり時間をかけてないのが窺えました。


ついでですがトイレの落書きに「矢場久根(やばくね)」と書かれてたのは美術さんの遊びにしてもちょっといただけず。時代的にあり得なさすぎ。

宣伝で「この素晴らしい愛をもう一度」の「愛」の所で鼻から手を離す振り付けがよく紹介されてましたが、映画のなかでは「ここで笑っていいですよ」というサインとして機能してしまい、以降真面目な心情を描いたショットなのに笑っててしまう観客や、逆にサインが出ないと面白い所なのに笑わないなど、どうにもこうにもな現象が出来(しゅったい)。

二番も三番も同じようにリタルダンドして鼻の振り付けが登場するのにも閉口。
もうちょっと意味が伝わるような振り付け(ちなみにパンフレットによるとここは監督のアイデアとのこと)であれば、観客ももっと意味の読み込みをする態勢になったのでは。

振り付けのパパイヤ鈴木によると、妻夫木のアクションなどではシュールになるのを避けたとのことですが、むしろシュールな位に意味性を探りたくなるような表現がこの映画には相応しかっただろう。
そうしたらものすごいカルト映画になっていたかも。

バイオレンスなのかギャグなのか分からん宣伝をしてしまったのも不入りの原因では。

70年代の精神性をカオスなパッションで表現した問題作!みたいなキャッチコピーとかなら、得体の知れない魅力に引き付けられた多くのお客さんを呼んだかも。


あとガムコの台詞で「拉致」ってありましたけど使わないでしょ当時の不良は。
「つかまえて来ましょうか」みたいな素朴があの時代では。

なんか全体に勿体無い映画でした。
武井咲のウェイトレスや制服姿だけは完全無欠かも(^_^;)


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